多元的世界における伝道について(1) 川島堅二 【宗教リテラシー向上委員会】

19世紀まで排他的宣教による世界のキリスト教化は自明であった。幕末から明治初期にかけて来日したアメリカ人宣教師ジェームズ・ハミルトン・バラから洗礼を受けた私の曽祖父(当時埼玉県春日部在住)が、受洗後最初にしたことは先祖伝来の仏壇を古利根川に棄却することだった。そのようなことを曽祖父が自分で思いついてしたとは考え難いので、宣教師による指導があったと想像する。

さすがに今日ではこのような暴挙は行われないとしても、キリストの世界宣教令「あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じたことをすべて守るように教えなさい」(マタイによる福音書28章19~20節)に従い、世界のキリスト教化を宣教の最終目標に掲げている教派は存在する。

今の世代でこの世界宣教を完成するという幻を実現しようとしたボストン運動(東京キリストの教会)、ヨハン教会、国際福音キリスト教会はいずれもカルト化し、その宣教のビジョンが挫折したことは私たちの記憶に新しい。カルト化の原因は「弟子訓練」によるハラスメント(暴力、体罰、性的暴行)、未熟な「弟子」「信徒牧師」による勧誘の過激化(迷惑行為の横行)などであった。

20世紀後半より他宗教は改宗の対象から、対話、共存、協同の対象へ変わったことを、私たちは謙虚に受け入れる必要がある。そのために必要なのは、他宗教で救われている人への伝道について、また他宗教の救済をどう考えるかについて思いを深めることである。

私の母方の祖母は、第二次世界大戦前に祖父の仕事の関係で朝鮮に渡り、戦後引揚者として過酷な経験をしたが、日蓮宗系新宗教の信者だった。熱心なキリスト教徒であった母は祖母のキリスト教への改宗を祈り、伝道したと思われる。私がまだ中学生のころだと記憶するが、祖母が「戦争中の苦しい時を『日蓮上人さま、南無妙法蓮華経』と唱えて生きてきたんだ。今さらそれを『イエスさま』に変えることはできない」と独り言のように私につぶやいた言葉を忘れることができない。子ども心にも祖母の言葉に真実の信仰心を感じ、これは祖母から取り去ってはいけないものだと思ったのだった。

他宗教は改宗の対象ではなく、対話と共存、協同の対象であることは、多くの一般のキリスト者、特に地方では自明のこととなっている。キリスト者であっても仏式の葬儀には数珠を手にするし、教会で役員を長く務める信者の家庭にも仏壇があり、お盆には僧侶を呼んで仏式の儀礼を行うなどである。

東北大学大学院文学研究科の実践宗教学寄附講座が養成している臨床宗教師という認定資格がある。被災地や医療機関、福祉施設などの公共空間で心のケアを提供する宗教者で、欧米のチャプレンに対応する日本語として考えられた。布教や伝道を目的とするのではなく、相手の価値観を尊重しながら、宗教者としての経験をいかして、苦悩や悲嘆を抱える方々に寄り添うことを目的としている。

先日、青森県の恐山を会場に、東北で活動する臨床宗教師の研修会があり参加してきた。十数名の参加者の大半は伝統仏教の僧侶、ほかに天理教の教会長が2名、キリスト者は私を含めて2名だった。2日間、寝食をともにする中で、仏教徒や天理教徒も多元的世界での布教や活動のあり方を模索していることを知り、同時に、自らが帰属する宗教の絶対性を前提とした神学のあり方そのものが問われていることを改めて実感させられた。(つづく)

川島堅二(東北学院大学教授)
かわしま・けんじ 1958年東京生まれ。東京神学大学、東京大学大学院、ドイツ・キール大学で神学、宗教学を学ぶ。博士(文学)、日本基督教団正教師。10年間の牧会生活を経て、恵泉女学園大学教授・学長・法人理事、農村伝道神学校教師などを歴任。

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