明治の大阪港開港にあわせて開設された外国人のための川口居留地跡地に立つ「日本聖公会大阪主教座聖堂・川口基督教会」(大阪市西区)が3日、コロナ禍のため1年延期していた宣教150周年の記念感謝式を開催した。記念礼拝に先立ち「大阪の近代教育発祥の地」の記念碑の除幕も行われた。
川口基督教会は、関西における最古のプロテスタント教会であると同時に、1920年に現在の聖堂竣工以来、大阪八景として知られている。有形文化財に指定されている現聖堂は戦禍を乗り越え、1995年の阪神・淡路大震災で被災を被った際には、海外や市民の支援によりゴシック風の煉瓦(れんが)造りの聖堂が再生復元された。今年2月からは、大阪市の修景事業補助金によって、聖堂のライトアップが始められ、コロナ禍のもと礼拝や諸活動が中止・萎縮している中で、地元の住民や信徒たちの大きな励ましとなっている。
同教会は、米国聖公会の宣教師で、初代日本聖公会主教のチャニング・ムーア・ウィリアムズによって開設された私塾「英学講義所」が源流となっている。そこでは、聖書と英学が教えられ、その働きは立教大学の創設へとつながっていく。さらに、その働きに端を発して、「川口居留地」と呼ばれた「川口町」では、多くの来日宣教師たちが伝道を始め、永生女学校(現プール学院)、三一小学校(現桃山学院)、照暗女学校(現平安女学院)、大阪一致女学校(現大阪女学院)など関西を代表するミッションスクールが建てられた。
除幕が行われた「大阪の近代教育発祥の地」の記念碑は、同教会がキリスト教伝道と近代教育の拠点であったことから設置された。記念碑を前に、同教会の柳時京(ユ・シギョン)牧師は、「私たちは、これからも大阪市の歴史文化遺産・文化財としての役割を充実に担って参りたいと思います」と語った。
今回、来賓として招かれた立教大学総長の西原廉太(にしはら・れんた)氏は、お祝いのメッセージを、150年の歴史を振りかえりながら次のように伝えた。
川口基督教会宣教150周年、聖堂建築100周年、誠におめでとうございます。ウィリアムズ主教が1870年にこの川口の地に最初に播かれた宣教の種は、「英学講義所」という学校でした。この学び舎は、ウィリアムズ主教の願いかなって、モリス師のもと私塾「聖テモテ学校」へと育ち、1878年にはさらにチング師という類まれな才を得て、「英和学舎」という、関西地方では同志社と相対する堂々たる私立学校へと成長したのでした。英和学舎からは、元田作之進、名出保太郎という初代、第2代の日本聖公会邦人主教を輩出、後に立教中学校長となる左乙女豊秋、南海電鉄社長となる大塚惟明らも、ここ川口居留地で学びました。
1887年の日本聖公会組織成立と同時期に、川口居留地にあった英米ミッションの教会、学校は整理されることとなりますが、その際に、「英和学舎」は東京の「立教大学校」と「合併」を果たしたのです。大切なことは、立教大学が英和学舎を吸収したのではなく、それは言わば対等な「合併」であったという歴史的事実です。すなわち、私たち立教大学には英和学舎の<いのち>が確かに今も流れているのです。したがって、川口宣教150周年とは、実は、私たち立教大学自身にとっても、極めて大切な祝福の時でもあるのです。