改革派「神学研修所」 同性愛テーマに講演会 〝教会を性的マイノリティにとって安全な場所に〟

伝統神学への批判 改革派も免れない

日本キリスト改革派教会の有志立牧師養成機関である改革派神学研修所(牧野信成所長)は9月9日、「同性愛:聖書をどう読むか」をテーマとするオンライン講演会を開催した。建設的な神学議論のきっかけとして、教会の聖書理解が深められることを企図したもの。同教会は他にも信徒向けの公開講座を開催しているが、具体的な議論がまだ行われていない中で同性愛について取り上げるのは異例のこと。オンラインで約100人の牧師、信徒が参加した。

講師を担った翻訳者の井上有子氏(日本キリスト改革派長野まきば教会信徒)は冒頭、性的マイノリティの割合が約10%であるという統計から、子どもを含め約1万人の改革派会員のうち1000人、礼拝出席者3600人のうち360人の当事者が、「安全な場所とは言えない教会」で「黙殺」されながら礼拝出席していると指摘。

「反対派」「肯定派」の基本的主張、リベラリズム、ファンダメンタリズム、カルヴィニズムの立場の違いを説明した上で、カルヴィニズムの流れを汲む改革派神学の特徴は、聖書という「特別啓示の文書化」における聖霊の働きを積極的に確認する「有機的霊感論」にあると強調した。またその論拠として、日本キリスト改革派教会創立40周年記念宣言から「ウェストミンスター信仰基準に提示されている聖書的真理を、この国とこの時代の具体的な信仰の戦いの中で私たちの言葉をもって一層適切に表明すべき」との文言を挙げた。

一方で井上氏は、歴史的にすべての伝統神学が「異性愛者のエリート白人男性」によって構築されており、「女性・性的マイノリティの視点を軽視し、置き去りにしてきたという批判からは、改革派も免れない」とも言及。

続いて、「有機的霊感論」が導く前提として、「聖書に性的指向としての同性愛という概念は存在しない」「主に断罪されているのは同性愛者ではなく、抑圧・暴力を伴う性交にふける男性異性愛者である」「同性間性行為は聖書記者・編集者たちにとって主要な関心事ではなかった」などの点を確認。

同性愛断罪の根拠となってきた聖書箇所について具体的に列挙しながら、特にレビ記18章22節「女と寝るように男と寝てはならない。それは忌むべきことである」をめぐって原語の意味と文化的な背景を丁寧に解説した。その上で、「家長が一族の男との性交を禁じられているのは、その男がある特定の女との間にもつ関係性が尊重されるからであり、妻帯している男との近親相姦、一族に属する女の庇護下にある男との近親相姦が禁じられている」と結論づけた。

フェミニスト神学、クィア神学からの「信仰を『排除』手段に用いてきたのではないか」という問いは、ファンダメンタリズム同様、カルヴィニズムに対しても向けられていると井上氏。「教会運営を維持するために『十人のうち一人を犠牲にしてもいい』という視点を聖書は否定しており、教会を性的マイノリティにとって安全な場所に改革、改善するために深く頭を垂れ、当事者の声に真剣に耳を傾けることが不可欠」と訴えた。

講演の最後には、性的マイノリティの友人たちによる「証言」をもとにした架空の「シナリオ」を紹介。その概要は以下の通り。

企業に勤めながら関東圏内にある改革派教会に通い続けて22年の山田花子さん(40歳、改革派クリスチャンホームで育つ)。執事会・女性会のリーダーとして、ここ10年奉仕を続け、牧師や信徒からの信頼も絶大。「結婚したい方がいるんです」と面会を申し出たところ、牧師は「おめでとう! 相手はどんな男性?」とひと言。これに対する花子さんの答えは……「先生。先生は私を当然のごとく異性愛者だと判断なさる。けれども私はレズビアンです。そのことをずっと先生にお伝えしたいと願い続けてきました。先生の説教に基づく聖書の教えに従ってこの10年パートナーとの信頼関係を築いてきました。私たちの結婚に法的拘束力としての『契約』は成立しません。けれども教会にてキリストの祝福をいただけるなら法的拘束力は必要ないとの考えに私たちは祈りを通して導かれました。先生は確かに異性愛規範にのっとっておられる。けれども先生の説教そして信仰者としての姿に私はずっと教えられ、支えられてきました。日本社会はレズビアンという私を否定するか、もしくは『上から目線で許容』するかのどちらかです。だからこそ十字架に『だけ』示された愛と義を説教において示し、希望を与えてくださる先生の司式のもと、信仰の家族である教会員を証人として私は結婚式をあげたいのです。どうぞ真剣に私の願いに向き合ってください。心よりお願い申し上げます」

あくまでフィクションだが井上氏によれば、「教会の予想をはるかに超えて現実味を帯びている」という。

講演後の質疑では、「創造の秩序」に基づいて考えるべきという牧師の意見が出された一方、「聖書の命じていることは、迫害されている者たちを助けること。両親に打ち明けられず苦しんだり、アウティングで自死を考えるほど追いつめられたりしている当事者に寄り添っていくべき。議論している間も、教会を訪ねる当事者がいる限り、対応を考えておく必要があるのではないか」との感想も聞かれた。

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