「教会は『居場所』になるか」に対して「なぜ『居場所』なのか」、「躁うつを抱えて牧会するということ」に対して「十字架の力を見失わないように」など、教会につながっている精神障害者や支援者のさまざまな証しに、クリスチャン精神科医の石丸昌彦(いしまる・まさひこ)さんがそれぞれレスポンスするかたちで構成された『精神障害とキリスト者──そこに働く神の愛』(日本キリスト教出版局)。月刊「信徒の友」の連載を書籍化したものだ。
石丸さんは放送大学教授であるとともに、キリスト教メンタルケア・センター(CMCC)副理事長も務める。日本基督教団・柿ノ木坂教会会員。
石丸さんがイエス・キリストに出会ったのは医学部の学生の頃。「精神科医として働く上で、信仰が与えられていたのは何よりもありがたいことでした」と「はじめに」で述べている。それは、もし「神の業(わざ)がこの人に現れるため」(ヨハネ9:3)でなかったとしたら、受け容(い)れることの難しい現実が医療の現場にはあるからだという。
本書に登場する人たちの立場はさまざまだ。精神障害者の居場所を模索する牧師。統合失調症の当事者であることを強みにして、精神保健福祉士となって患者と向き合う女性。福祉サービスを通して利用者を教会につなぐ試みをしている就労支援センターの主宰者。精神障害であることをカミングアウトした男性。双極性障害を可能性として捉えて牧会を続ける牧師。アルコール依存症や薬物依存症から回復した男性。こうした人々の体験が赤裸々に綴(つづ)られている。
石丸さんのレスポンスは、それぞれの人のそれまでの歩みに対する敬意から始まる。続いて、そこに書かれた内容を基に、精神医療の専門家としての視点と信仰者としての視点の双方で内容の補足をし、さらに掘り下げ、読者にも精神障害への理解を促していく。そして最後は、希望に満ちたエールで締めくくられている。
石丸さんは一つ一つの証しについて次のように語る。
それぞれ違っていながら共通の雰囲気があり、同じ香りを漂わせていること、それは皆さんを支える力の源が、ただ一人の主であることの証しもありました。
皆さんに共通するキーワードをもう一つ挙げるとすれば、それは「感謝」ではないかと思います。苦難にもかかわらず感謝できること、あるいは苦難までも含めて感謝できること、その秘訣を言葉や理屈で説明することは困難です。ただ、それが現に可能であること、そしてそれこそが困難に打ち克(か)つ王道であることを、皆さんがそれぞれの形で示してくださいました。(213頁)
うつ病、認知症、アルコール依存症、統合失調症などを含む精神障害(=精神疾患)は、どんな人でもかかる可能性がある身近な病気であると石丸さんは語る。客観的な数字からも、精神障害を抱える人の数は急増している。にもかかわらず私たちは、精神障害のある人を、地域や職場、学校だけでなく、心の中においても遠ざけているのではないだろうか。
連載時に、次のような無記名のメッセージが寄せられたという。
弱い者たち、病める人たち、障害のある人たちに寄り添ってくださったイエスの心を我々は忘れていないか。まさか「教会」にとって厄介な人たちなのではないか。邪魔者にしてきたのではないか。「教会」は富める者、健(すこ)やかな者たちだけの集団なのではないか。そう自問している。(161頁)
教会は誰のためにあるのだろうか。聖書を開き、イエス・キリストの言葉に耳を傾けたい。
石丸昌彦監修『精神障害とキリスト者──そこに働く神の愛』
2020年1月25日初版発行
日本キリスト教団出版局
2200円(税別)