8月1日「あらゆる恵みを満ちあふれさせる」

神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。(コリントの信徒への手紙二 98節)

 献金は、キリストの恵みによって贖(あがな)われ神の民とされた者が、神の栄光のために生きようと自分自身を献げる献身の表明である。パウロは献金を神に仕える「奉仕」(1節)と言う。神は献金を祝福して御業のために用いられる。それだけではなく、神は献げる者をあらゆる恵みに満ち溢れさせてくださる。パウロは神に献げる献金を神の畑に蒔くことであると言い、惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです」(6節)と語る。神は献金する者が不足することのないように、すべての必要を満たしてくださる方である。それゆえ、主なる神は「わたしを試してみよ・・・必ず、わたしはあなたたちのために天の窓を聞き、祝福を限りなく注ぐであろう」(マラキ3・10)と言われる。献金は私たちの信仰を測るバロメーターである。

 しかし、献金は自分の蓄えが増えることを願って捧げるお賽銭ではない。今日の聖句が語るように、神は私たちが御心(みこころ)を行う善い業に満ち溢れさせてくださるのである。なによりも、蒔く者が刈り取る神の報酬は「慈しみが結ぶ実」(10節)である。原文は神との関係を示す「義の実」である。「喜んで与える人を神は愛してくださる」(7節)とあるように、献金は神に結ばれるという実をもたらすのである。それゆえ、献金は不承不承ではなく、強制されてでもなく」(7節)、他人が献げる額を見比べてでもなく、喜んで、自分が決めた額を神に献げるのである。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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