【映画評】 男性性に翻弄される男たち 『Cloud クラウド』

倒産した町工場から、経営者夫婦の弱みにつけ込んで高価な医療機器を容赦なく買い叩く。車に詰め込んで帰宅し、撮影し、ネットストアに上げる。販売価格は買取価格の10倍。それでも瞬く間に完売する。1日で何百万もの売り上げだ。

『Cloud クラウド』は主人公・吉井の、ボロ儲けの転売業を淡々と描いて始まる。一般に憎まれがちな転売屋だが、演じる菅田将暉の実直さのせいか、そこまで憎めない。むしろ「楽して儲けるずる賢い転売屋」のイメージに反する、日々の苦労や焦り、将来性のなさが露呈して驚く。

実際、転売業はたいへんそうだ。商品を見定め、買い占め交渉し、まとまった金額を払い、車で運び出し、綺麗に撮影し、絶妙なラインで価格設定し、売れたら配送業者に回す。1人で何役もこなさなければならない。各方面の知識も求められる。狙いが外れたり、偽物をつかまされたりしたら大赤字になる。警察沙汰にもなりかねない。副業ならまだしも、本業なら相当なプレッシャーではないか。吉井に転売業を教えた村岡(窪田正孝)もつぶやく。「全然楽にならねえよ」

それでも順調に稼ぐ吉井は、順調であるがゆえに人々から恨みを買う。その恨みはネットで増殖し、吉井と直接関係ある者もない者も引き込み、現実の暴力となって現れる。いつの間にか集団を形成し、唐突に現れるその襲撃者たちは、不気味な雲(Cloud)から出てきたかのようだ。

スリラー調に展開する前半から一転、後半は激しい銃撃戦になるのが本作の特徴の一つ。それは表面的には、悪どい転売で荒稼ぎする吉井に下される正義の鉄槌に見える。けれどその正体は気ままな憂さ晴らしだったり、嫉妬だったり、逆恨みだったり、金銭目当てだったりする。ネットを介して知らない者同士で集まり、目的のみを共有し、支離滅裂な正義を掲げて執行するリンチでしかないのだ。その醜悪さが転売の比でないせいか、突然襲われる吉井が気の毒に思えてしまう。

その襲撃に参加するのは、何らかの理由で人生に行き詰まった、いわゆる「弱者男性」と呼ばれる男たちだ。失業者、ホームレス、失敗した転売屋、指名手配犯、愉快犯的なリンチ常習者など。だが、彼らのターゲットとなる吉井とて決して「強者男性」ではない。むしろ先行きの見えない転売業に賭ける点で、彼らとそう変わらないのではないか。つまり似たような境遇の者たちが、少しでも抜きん出る者の足を引っ張るために争うのだ。

吉井のアシスタントを務める佐野(奥平大兼)は地元のニート。吉井に雇ってもらえて「助かりました」と言う割に熱心に働かず、言いつけを守らず、飄々としていて頼りない。いかにも「弱者男性」に見える。けれどそんな彼が後半、別の一面を見せる。

佐野の変身は、「強者男性」と「弱者男性」を隔てる壁が思いのほか曖昧であることを示す。実際、吉井にも個々の襲撃者にもそれぞれ強者の面と弱者の面があり、状況によって、相手によって、さまざまに変化している。強い者がいつも強く、弱い者がいつも弱いわけではない。もちろん「強者男性」と「弱者男性」を作り出す構造は厳然と存在しており、日々不平等を生み出しているのだが、かといって両者を完全に分けて考えるのも雑な理解ではないか。

「有害な男性性」が語られるようになって久しいが、有害性や加害性、強者性のみで男性性を切り取るのもまた雑な理解だろう。近年のフェミニズムの勃興に呼応する形で、メンズリブや男性学といった、男性性を主なテーマとする活動も徐々に盛り上がりを見せている。「有害な男性性」にのみ注目することで抜け落ちてきたものを、拾い上げようとする試みだ。その点で本作は、女性の登場人物が1人しかいないのもあって、男性間における男性性の複雑さ、曖昧さ、強さと弱さの間を行き来する流動性を学ぶ機会を提供している。

吉井の転売の先輩・村岡は、その複雑な男性性を体現する。先輩としてのプライドと後輩を可愛がる気持ちの間で揺れ動いたり、恋人がいる吉井に嫉妬したり、それでも自分が優位にいるように振る舞ったり、襲撃に参加しつつ吉井と取り引きしようとしたりで、カメレオンのように態度を変える。後輩の吉井に追い越されて殺意を覚える姿は、旧約聖書のダビデに殺意を覚えるサウル王のようだ。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」(サムエル記上18章7節)と言われて激怒し、身の破滅を招いたサウル王もまた、己の男性性に翻弄された1人だったかもしれない。

(河島文成)

9月27日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
©2024「Cloud」製作委員会
配給:東京テアトル日活

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