【3・11特集】 重なりあう時間たち 『たゆたえども沈まず』『きこえなかったあの日』『二重のまち/交代地のうたを編む』 東日本大震災からの10年

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あの日から10年が経とうとしている。

東日本大震災。10年という時間は、それ自体の厚みによってあの日起きた出来事の多くを忘却の彼方へと押し流し、ともすれば埋もれゆく傷痕の上層で何事もなかったかのような澄まし顔を覗かせる。ゆえに記憶する者は抵抗する。伝えようとする。子どもらへ、新たに訪れる者たちへ。かさ上げされた土地に新築の建造物を並べても街は復興などしない。単に形が更新されるのでなく、心が受け継がれ初めて街は「人間」のものとなる。語り手の営み、伝え手の技量が試される時間は、この意味ではむしろこれから本番を迎えるとさえ言える。

テレビ岩手製作の『たゆたえども沈まず』は、1850時間に及ぶ映像から構成された記録映画だ。震災当日の津波映像を皮切りに、かつて全国報道でくり返し目にした人々や場所のその後を仔細に映し出す。「津波てんでんこ」の教えに従って走った子は成長し、復旧した三陸鉄道の運転士になった。津波到来時に周辺住民を受け入れた釜石の宿・宝来館は、個性的な女将の切り盛りで裏山に避難路を築き今も営業を続けている。このようにして個々人の生き様へと肉薄してこの十年を凝視する目線の近しさに、地元メディアならの矜持がにじむ。

『きこえなかったあの日』の冒頭で、撮影班を強い揺れが襲い、監督本人のナレーションが重なる。「揺れが収まれば大丈夫だと思っていた。でも本当は危なかったんだ」 映画は、街中へ響きわたる津波警報も十全に捉えている。しかし、監督には聴こえなかった。こうして始まる、生まれつき耳が聴こえない今村彩子監督が撮る、東日本大震災からの10年。熊本地震、西日本豪雨、新型コロナウイルス流行。災害下の障碍者に固有の困難と孤立感とを抱えた人々の姿は、この監督にしか撮れない表情に満ちて熱い。

緊急警報が聴こえない世界への想像力。あるいは目が見えない、体の自由が利かない日々を送る人々の直面するもの。震災直後の混乱時、障碍者の致死率は健常者の倍に及んだという。それを仕方ないと諦める姿勢の危うさを厭(いと)うなら、まずは知らずして何も始まらない。

『二重のまち/交代地のうたを編む』では、東日本大震災の当時は子どもだった若者4人が、陸前高田に滞在する。本作監督の小森はるかと瀬尾夏美は震災時東京藝術大学の学生で、その翌年には陸前高田へ移住、ともに当地で作品製作を続けてきた。かさ上げによりかつての町と新しい町が二重化しゆく地を新たに訪れた若者4人が触れるものと、監督2人の生きた10年とが響き合う。ありえた時間とありうる時間の重なり、呼び声と応答の果てなき連なり。

今回扱った3作が相互に最も異なるのは、作品の送り手が立つ当事者性のありようだ。この点で、『二重のまち』の若者らが陸前高田の人々と関わる中で読み上げられるテキストが、2031年を舞台とするモノローグであることは興味深い。例えば20代序盤で東北へ移住した監督の2人がもし今後も当地へ住み続けるなら、その年は彼女らの東北在住歴が半生を超える時点となる。この選択自体がその時、移住当初彼女らに立ちはだかったであろう壁に対する、しなやかな応答となる。

2021年2月13日、震度6強の地震が福島や宮城を襲った。気象庁によればこれはいまだ無数に繰り返される、東日本大震災の余震の一つだという。終わってはいないのだ。

往々にして人は他人を、あるいは自身を、非当事者としてなにか特定の社会事象からたやすく切り離す。見たくないものは見ず、聞きたくないものは聞かずに日々を暮らすことがますます容易になるこの社会で、10年を迎えた東日本大震災はなお紛れもなく、忘却と無関心に抗うべき局面であり続けるだろう。(ライター 藤本徹)

『たゆたえども沈まず』
公式サイト:https://www.tvi.jp/tayutaedomo/
3月5日(金)よりロードショー。

©2021テレビ岩手

『きこえなかったあの日』
公式サイト:http://studioaya-movie.com/anohi/
2月27日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次公開。
全国一斉インターネット配信開始(http://studioaya-movie.com/anohi/online.html)。

©2021 Studio AYA

『二重のまち/交代地のうたを編む』
公式サイト:https://www.kotaichi.com/
2月27日(土)よりポレポレ東中野、東京都写真美術館ホールにて公開、ほか全国順次公開。

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