【オンラインセミナー第2回】聖書は66種類の人生のスパイス 「クリスチャン解体新書・Vol.2」開催 

クリプレ・オンラインセミナー「クリスチャン解体新書・Vol.2」(社団法人チャーチ主催)が5月12日、Web会議サービスZoomを使って開催された。初回に引き続き、クリスチャンプレス(クリプレ)ディレクターのMARO氏が講師を務めた。

上馬キリスト教会ツイッター部(まじめ担当)としても知られるMARO氏は、クリプレのディレクターをはじめ、宗教法人専門の行政書士、ミュージシャン、作家と多方面で活躍する。『世界一ゆるい聖書』(講談社)『聖書を読んだら哲学がわかった』(日本実業出版社)『眠れぬ夜の聖書の言葉』(大和書房)など著書も多数。セミナーでは、最新刊『人生を深めるおとな聖書――教養とはこういうものだ』(ポプラ社)をテキストとして使っている。

テーマは「MAROから学ぶ・キリスト教ってこいうものVol.2」で、4月に行われたセミナーの続きになる。今回もキリスト教用語の解説から始まり、キリスト教がどういう宗教なのか分かりやすく解説した。キリスト教は、イエス・キリストの教えというだけにとどまらず、「神としてイエス・キリストが成就したことを信じる」宗教で、十字架と復活は欠かせないものであることを話した。さらに、クリスチャンが信じるのは「イエス・キリストは神であること」「三位一体」「聖書が唯一の正典」で、このうち1つでも欠けていたらキリスト教ではなく「カルト」であることを伝えた。

続いて「人生のスパイスになる聖書のことば」といういうことで、聖句書を引用しながら西洋思想にも踏み込んだ。聖書は、旧約と新約を合わせて66巻からなる書物。その聖書についてMARO氏は「66種類の人生のスパイス」と述べ、ここでは聖書のことば(=スパイス)の使い方をいくつか紹介した。

まずはキリスト教の根底にある十戒から。「殺してはならない」「姦淫してはならない」「盗んではならない」などモーセが神から与えられた10の戒律だ。クリスチャンにとって守るべき律法だが、どれ1つちゃんと守れているクリスチャンはいない。むしろ、「こういう罪を犯してしまう、だから神さま助けてくだい」と言えるのがクリスチャンなのだ。

続いて、「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネによる福音書3章16節)という聖句を引用し、愛することに理由はない、理由がないから愛なのだと、「愛」について語った。「一番大事なものを手放しても構わないほど、あなたにそこにいてほしい」のが愛だと話し、神さまが一人ひとりの人間を無条件に愛していることを明らかにした。

また創世記には、神は、人間を自分に似た特別なものとして形づくり、この世を管理させたことが書かれている。キリスト教国である西洋の人々は神からこの世界をあずかっているという意識が強い。このことは、欧米の環境運動にも反映されている。どんな生き物にも神が宿ると考える東洋思想と違い、キリスト教は人間が特別な存在。ここに西洋と東洋の思想の違いがあることを語った。

一般的に考えると理解しづらいこととして「山上の垂訓」というがある。これは、マタイによる福音書(第5〜7章)およびルカによる福音書(第6章)に出てくるイエス・キリストの教えだが、「こころの貧しい人たちはさいわいである。天国か彼らのものである。悲しんでいる人は、さいわいである。彼らなぐさめられるであろう。……。」など不幸の真っ最中にあるのに「さいわい」だと言われるのだ。MARO氏は、この「山上の垂訓」について「コペルニクス的転回」だと述べ、これこそ人生を幸せにする極意なのだと力を込めた。

そして、キリスト教の極意として「一元論」を挙げる。キリスト教では、「悪/善」「生/死」「光/闇」など白か黒かの二元論ではなく、「悪→善から離れた状態」「死→命が失われた状態」「闇→光が届かない状態」などのように考えられることを述べた。「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」(ヨハネによる福音書1章5節)も引用しなが、一元論だから多元論も成立することを語り、真っ白なのは神さまだけで、その他はサタンも含め全てグレーであると話した。

最後に、クリスチャンの理想は、真っ白な神さまと同じになることであり、最終的にみんながそんなに人になる!というのが「よい知らせ」=「福音」なのだと締めくくった。

クリプレ・オンラインセミナー「クリスチャン解体新書・Vol.3」は、6月9日(金)後7時半開催。詳しくはこちらから。

 






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