【chiyoのGOD ONLY KNOWS!】第8回 アメリカにて

今回のコラムは一気に舞台を海外に移して語ってみたいと思います。

高校時代に島根の田舎で過ごしてた頃。 高校生だてらにおばあちゃんのアパートで一人暮らしをしていた僕の楽しみといえば、近所のCD屋さんでロックの名盤を見たり買ったりすることでした。ある日、そこの店主がブルーススプリングスティーンのCDを勧めてくれて、「大ちゃん(僕はそう呼ばれていた)できれば10代のうちに海外にいく経験をしたほうがいいよ」と言われました。

Sanluisobispo

Basar, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons

何気ないその台詞がずっと心に残っていて、大学2年生の夏、僕はそれまでの貯金をぜんぶはたいて、1ヶ月間のホームステイ留学をしました。人生ではじめての海外。アメリカ合衆国カリフォルニア州の片田舎、サンルイスオビスポという人口5万人ぐらいの町。ぼくが割り当てられたホームステイ先は、あまり裕福とはいえない母子家庭のイタリア系アメリカ人の家でした。マギーさんというお母さんと、高校生のワイアット君、中学生のジェシー君の白人3人家族に、アジア系の大学2年生の僕が混じって1ヶ月間同じ屋根の下で暮しました。

僕が「なんでアメリカ人は玄関で靴を脱がないんだ」っていう質問をお母さんのマギーにしたら、「日本人みたいに玄関で靴を脱いでくれる文化の方が掃除が楽なのにって私も思う」とかそんな話を夜な夜な語ったり、(もちろん僕の英語はカタコトでしたが)、子供たちとはバンドを組んでビートルズのナンバーを一緒に演奏したり、貧乏ながらも愛あふれる家庭に巡り合えて、それはそれは楽しい1ヶ月間をすごし、今でも忘れられない青春の思い出となりました。そのひと夏の思い出は1996年のことでしたが、いま思うと食事の時に手を合わせてお祈りしてたことを思い出します。(ちなみに僕はお祈りを強制されず、そのときはお祈りが終わるまで待っていた) 当時はまるで考えもしなかったけれど、いま思うと、マギーさん一家はクリスチャン家庭でした。

帰国後、数年して僕は大学を中退。 本格的に音楽をやるために東京へ出て行き、ライブハウスでの出会いを通して2003年に洗礼を受けクリスチャンになったことを思えば、なんと神様の計画は計り知れないなぁと思わされます。言葉を超えた愛で接してくれたマギーさんファミリーには、帰国後しばらく手紙のやり取りをしていたけれど、一家が引越したのをきっかけに連絡が途絶えてしまいました。

僕は東京で結成したバンド/サルーキ=で2015年から毎年アメリカツアーに行くようになり、カリフォルニア州は元より、テキサス州やニューヨーク州など全米の教会を廻りながらコンサートツアーをするようになりました。あのとき、愛をもって福音の種を撒いてくれたマギーさんファミリーにいつか会って、僕もクリスチャンになったことを伝えられたらいいなってふと思います。

ちなみに、高校時代に僕の海外行きを勧めてくれていたCD屋のおじさんに、実は数年前、帰省の折に島根のキリスト教会で再会し、お互いクリスチャンになっていたことに驚き、喜び、涙ながらにともにお祈りしたという嘘(うそ)のような本当の話もありました。。

人生はまさにGOD ONLY KNOWS! この続きはまた次回のコラムで。

☆chiyo☆

 

chiyo

chiyo

ロックバンド「サルーキ=」のボーカリストとして2003年テレビ朝日ミュージックよりデビュー。これまでに8枚のオリジナルアルバムを発表し、最新作「忠実のロックンロール」は伝説のシンガーソングライター小坂忠氏の監修のもと制作された。渋谷公会堂、日比谷野音などの単独ライブを経て、現在も国内外で年間120本のライブ活動を続けている。

この記事もおすすめ