国内で新型コロナウイルスのワクチンを少なくとも1回接種した人は全人口の70%となり、2回目を終えた人は60%近くとなっている。その一方で、聖書の言葉の一部を引用して、ツィッターなどで、ワクチン拒否を表明するクリスチャンたちの姿は少なくない。今回、2020年3月以降、地域での爆発的な新型コロナ感染拡大の中、教会で感染拡大を目の当たりにした牧師(50代)に話を聞いた。
────コロナ感染は全国的にも深刻となっていますが、先生の教会ではコロナの影響はありますか。
2020年3月以降、爆発的な新型コロナ感染拡大の影響を受け、感染症予防対策をしてきました。礼拝はYouTube Liveを用いてのオンライン礼拝に切り替え、バイブルスタディや教会学校はZOOMで行うなど、緊急事態宣言の発出に合わせる形で対策をしてきました。対面式の礼拝が可能と判断した場合でも、出席人数に上限を設け、入り口で手指消毒、体温測定を行い、愛餐会は行わないなど、できうる対策を行いました。
それでも、昨年は2人の信徒が別々の機会に(恐らく職場で)コロナに感染し、今年も数人が家庭内感染をしました。感染された信徒はいずれも入院をされ、かなり危険な状態に陥った方もいました。そのたびに教会では集中的な祈祷を呼びかけ、幸いにして全員がその後回復をしています。 教会としてはパンデミックになることは避けたかったので、例年行っているキャンプなどの行事をほとんどすべて取りやめ、感染状況が落ち着くまでは集まることを我慢しようと役員会で申し合わせ、教会員にもそのように納得をしていただきました。
────ワクチン接種について、牧師から何か発信されることはあったのでしょうか。
教会内で講壇からメッセージとしても礼拝後の報告としても語ったことは一切ありません。また教会員に対する主な報告や連絡は教会のグループラインやメールを使って行っていますが、そこでも接種を勧めたことはありません。ただし、個人的にはワクチン接種はコロナ対策の大きな切り札であると認識をしていますので、ツイッター等SNSでは個人的に情報発信をしたり、ブログでそういった情報について言及することを度々してきました。それを目にしている教会員の中には、私がワクチン接種に積極的であると認識している人もいるかもしれません。
────ワクチンに反対する人の声は直接届くのでしょうか。教会員にもワクチンを拒否する人はいますか。
少なくとも数人の方が、明確にワクチンを打たないと私に伝えてきました。医学的に(アレルギーの問題で)受けられないという方もいますが、終末論と結びつけた反ワクチン的な考え方で拒否している人もいます。その中にはこの件で私と折り合いが合わず、別の教会に移られた方もいます。基本的にはそれぞれのご意思を尊重していますので、説得を試みたりはしていません。ただ、他教会に移られた元メンバーが、私の教会員にいわゆる陰謀論の動画を送ってきたり、チラシを配っていたということが後日分かり、その時にはそれを受け取ったメンバーには、十分注意するようにとお伝えしました。
直接ワクチンについて私に質問される方に対しては、科学的根拠に基づいた分かりやすいサイトを紹介して、できるだけ丁寧にその安全性や効果について私なりに説明をしています。
────反対する人は、どのように反対しているのか、その内容を具体的に教えてください。
言葉が少々乱暴かもしれませんが、ある反対者は陰謀論的な動画やサイトの虜になり、洗脳状態にあるように思えます。表立ってみんなの前で話すわけではありませんが、極端な終末論と結び付けて、パンデミックを終末のしるしと断定し、これは闇の勢力によって計画されたもので、世界統一政府がやがて台頭するだろう、ワクチンは獣の刻印に繋がっている、というニュアンスで考えておられるようです。(繰り返しますが、明確にそう喧伝しているわけではありません。)
このような方たちの考え方を変えるのは極めて困難です。私自身は、教会の秩序を乱さない限りにおいて、牧師と違う意見のままでいて構わないと思っていますが、もし分裂を引き起こすような動きがあれば毅然とした態度を取る必要があると思います。
一方、そこまで極端でなくても、身近に反ワクチンの人がいてなんとなくその考えに流され、慎重な姿勢を取っている人がいます。そのような方にも私から直接勧めることはしていませんが、いずれご理解くださるといいなと思っています。
────ワクチンに反対する人たちについて、先生のお考えをお聞かせいただけますか。
クリスチャンに限定して私の考えをまとめてみます。ワクチンに反対される方たちは、とても純粋で、心から神さまを求め、霊的飢え渇きが強い方々に多いように感じられます。その信仰の姿勢自体はとても素晴らしいことで、教会が喜びにあふれ、成長するために必要な要素であると思います。
一方で、信仰は「目に見えないものを確信させる」(へブル11:1)ことであるゆえに、科学のように定量化・視覚化することが困難です。例えば、「祈りの効果」「悪霊の働き」「神の祝福」といったものをデータやグラフを用いて表すことはできませんし、仮にそれをテーマに論文を書いても科学誌に掲載されることはないでしょう。クリスチャンは少なからず、このような個人の体験や主観に重きを置くことに慣れてしまうことで、より客観的な判断が求められる科学的思考がなおざりになり、科学的に判断すべきことまで霊的な事象として考えようとする傾向を持っているように見受けられます。反ワクチンを声高に講壇から語っている牧師の動画を幾つか見ましたが、まさにその混乱しか見て取れませんでした。
このテーマは終末論と親和性が高く、語り方によっては信徒を奮い立たせ、一体感を生み出し、伝道に駆り出す動機付けができますから、本人が意識するとせざるとに関わらず、牧師も信徒ものめり込みやすいテーマと言えます。逆に言えば落とし穴やカルト化の危険性も大きいのです。
もちろん、私は聖霊による導きや御業を信じていますし、科学万能主義では決してありません。むしろ科学万能主義を否定するからこそ信仰の力を信じそこに訴えます。しかし、科学がきちんとエビデンスを出している分野を信仰の名のもとに侵食することには賛成できません。クリスチャンは霊的な事柄に敏感でありつつ、現実と乖離(かいり)した科学的根拠に基づかない言説に十分注意しなければならないと思います。