牧会あれこれ
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牧会あれこれ(1)賀来周一
説教雑感牧師であって、毎週の説教作りに苦心しない人はいない。しかし、説教というものはなかなか不思議なというべきか、恐…
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牧会あれこれ(2)『信仰において譲らず、愛において譲る』賀来周一
しばしば信仰に生きているつもりでも、日常の中では、世の中にも自分にもいささか妥協気味に生きていることがある。そのよう…
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牧会あれこれ(3)賀来周一
牧師がどのように人のニーズに対応しているかを、人々は身近なところで感知する。そして、牧師が相手に誠意をもって接してい…
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牧会あれこれ(4)賀来周一
今日、教会は高齢者を多く抱えるようになった。「する、できる」ことに評価の重点を置くこの世で、「役立たず」とレッテルを…
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牧会あれこれ(5)賀来周一
もはや治る望みはないが、信仰があれば病気が治ると信じたい。生身の人間としては、もっともな願いだ。けれども、その願いは…
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牧会あれこれ(6)賀来周一
ある日、教会でこの婦人に話しかけている青年がいた。「信仰とは何でしょうね」。すると、「そりゃー、あーた、自分より偉(…
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牧会あれこれ(7)賀来周一
人生を変えることのできるものがある。それは己の決断の仕方である。そのためには、変えることができるものは何であるかを〈…
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牧会あれこれ(8)賀来周一
ナマの人間関係を作るのに最もよい手立ては訪問伝道にあると私は考えている。裏を返せば、教会が信徒のところにやって来るの…
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牧会あれこれ(9)賀来周一
教会は秩序や命令で動くところではない。効率や実績で人を見るところでもない。気持ちが優先するところである。それだけに人…
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牧会あれこれ(10)賀来周一
信仰は、貧しさや困窮を通して、地上における神の働きを私たちに見せてくれる。その時、不幸は嘆きに終わることなく、究極の…
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牧会あれこれ(11)賀来周一
「何もできない」、「何をしても効果はない」、「こんなことでは」と思い込んでいる時、その後ろには、「何かをしなければ」…
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牧会あれこれ(12)賀来周一
人は希望を失い、お先真っ暗になると、自分なりに答えを探し回る。しかし、苦難の真っただ中で、独り座す。その中でこそ、主…
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牧会あれこれ(13)賀来周一
「皆さんは、会衆が耳を傾けて聞いてくれる説教作りに大きな関心を持っているに違いない。しかし、会衆との間に信頼関係がな…
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牧会あれこれ(14)賀来周一
「教会というところは、難しいところですな。わたしが会社にいた頃は、部下に『これをしておいてくれ』と言っておけば、すぐ…
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牧会あれこれ(15)賀来周一
牧会は、人と人が向き合い、一対一で人のニーズを満たすことを基本とする。平たく言えば、膝と膝をつき合わせて、一人の人に…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(16)「『今』をどう捉えるか」
「ああ、そうか」は、いつでも「今」を見ていないと出てこない洞察を得た言葉だ。自分の人生に「ああ、そうか」と言える「今…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(17)賀来周一
伝道は、平和の挨拶で始まる。平和は、人が生きるための根源だからである。平和で構築された人間関係は、互いの助け合いを生…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(18)賀来周一
人は自分のために生きているという思いから解放されない限り、自分の願望成就の奴隷になってしまう。「キリストに生きるため…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(19)賀来周一
すべての人に独り子が与えられ、すべての人が愛され、すべての人が永遠の命にあずかる出来事が起こったと福音は告げる。それ…
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【毎月1日連載】牧会あれこれ(20)「牧会配慮の必要を問う」
今日の教会では牧師や司祭が減少しているが、それを補う力が信徒の中から生み出されようとしている。コロナ禍がなくとも、信…