今日8月9日は長崎原爆の日です。広島原爆投下から3日後のこの日午前11時2分、長崎市の上空500メートルで原子爆弾が炸裂(さくれつ)。当時の長崎市の人口24万人(推定)のうち約7万4000人が命を落とし、市内にあった建物も約36%が全焼または全半壊しました。
19年の歳月をかけて1925年に完成した浦上天主堂(カトリック浦上教会)も原形を留めないほど破壊されました。教会には、翌日の聖母被昇天の祝日を控えて、ゆるしの秘跡を受けるために多くの信徒が集まっていました。爆心地から500メートルという至近距離にあったため、原爆による熱線を受けたり、崩れてきた瓦礫の下敷きになったりして、全員が亡くなりました。
新しい聖堂は59年、元の場所に外観そっくりに再建されました。がれきの中から発見された「被爆マリア像」(木製のマリア像の頭部)や、吹き飛ばされた「アンジェラスの鐘」(天主堂の鐘楼の一部)などが、原爆の悲惨さを伝えるものとして今も保存されています。
同じくがれきの中にあった木製の十字架が7日、米国ウィルミントン大学平和資料センターから浦上教会に返還されました。当時、長崎に駐留していた米軍人が長崎の教会関係者から譲り受けた後、82年、同センターに寄贈されていたといいます。今回、同センターのターニャ・マウス所長が浦上教会を訪れ、高見三明・カトリック長崎大司教らに「被爆十字架」を手渡しました。今日の午後6時から行われる平和祈願ミサで「被爆マリア像」とともに公開されます。