【哲学名言】断片から見た世界 ショーペンハウアーの言葉

ショーペンハウアーの言葉:彼自身の人生の道のりと重ね合わせた時に、見えてくるものとは?

哲学の言葉は時に、それを書きつけた哲学者自身の人生の歩みと重ね合わせてみる際に、より味わい深くなることがあります。今回は、19世紀の哲学者であるショーペンハウアーの言葉を、この観点から取り上げてみることにしましょう。

「いちばん奇妙なことは何かと言えば、人生の終わりごろになって初めて、自分自身を、自分自身の目標と目的を、ことに世間や他人との関係において理解し認識することである。そういうとき、自分がかねて思っていたよりも低い位置に自分を置かねばならないことも確かに多いだろうが、いつもそうとは限らず、ときには思っていたよりも高い位置になることもある。」

この言葉は、それだけ取ってみても印象深いものですが、ショーペンハウアー本人が「生涯の中で最も喜ばしく、最も幸福であった事件」と振り返っている出来事と合わせて眺めてみると、また別の角度から照明を当てることもできそうです。まずは、当のショーペンハウアーの人となりを辿るところから、考察を始めてみることにします。

ひたすらに陰鬱な性格と、最悪な母子関係

「生きることは、一つの巨大な苦悩以外の何物でもない。」やがて、苦しみこそは世界の本質であるとの主張を含みもつ哲学体系を作り上げることになるショーペンハウアーは容易に予想される通り、青年の頃から非常に暗い性格の持ち主でした。彼のゆくところ、その場はたちまちお通夜のような雰囲気で満たされるといったありさまで、当然、世間や周囲の人々ともなかなかなじむことができません。特に、彼の母親との関係は、ほとんど最悪に近いといった状況でした。

ショーペンハウアーの母は、当時としては有名な作家でした。彼女は、サロンなども開いて勢いのある文化人たちを自分の周囲に集めるなど、イケイケでアゲアゲなことが何よりも大好きときています。従って、「母さん、世界は苦しみであふれているのです」といった類の発言を定期的に繰り返す憂鬱症の息子とは、気など合うはずもありません。

「お前は暗いし顔つきも陰鬱だから、お前とは一緒に住みたくないよ。」こんなことを言うとはなかなかにすさまじい母親であると言わざるをえませんが、ショーペンハウアーの方も負けてはいません。「母さんの軽薄な本はいずれ消え去るでしょうが、僕の本は後世でも読まれることになるでしょう。」一体なぜ正反対の性格を持つこの二人が母子なのだろうかと疑いたくなるくらいに、年を追うごとに二人の間の口喧嘩はヒートアップしてゆきます。

でも、そんなことを言っても、やっぱりかけがえのない母と子ですから、二人の間には、本当は誰よりも深い愛情が通い合っていたのでした……と書きたいところなのですが、実際には全くそのような事実はなく、1814年、ショーペンハウアーが26歳の時に、二人揃って「お前とは、もうやってられんわキエエエエエェ!」となって、完全な絶縁状態に入ります。お互いに記憶の中から消そうぜ、というわけで、きれいさっぱり、両者ともに何の未練も残すことなく、二人の仲は永遠に断絶しました。ショーペンハウアーの捨てゼリフは、「お母さんの存在は、ただ『哲学者ショーペンハウアーの母』としてのみ歴史に残ることでしょうね」だったそうです(ちなみに、母の方はこの最後の大喧嘩の際、「ああ残るだろうよ、お前の本は初版がそっくりそのまま売れ残るからね!」との名言を吐いている)。

Photo by Edgar on Unsplash

「生涯の中で最も喜ばしく、最も幸福であった事件」 ーゲーテからかけてもらった言葉

本題に入ります。母との決裂が起こったのとちょうど同じ頃、ショーペンハウアーはある社交のパーティーで、誰も話す相手もいないまま、窓の側でじっとしていました。若い女性たちは「まあ、あの人ったら。あんなに暗いんじゃ当然よね、クスクス……」と、少し離れたところから彼を笑いものにしようとしています。と、その時、同じパーティーに出席していた大作家のゲーテが彼女たちのもとに近づいてきて、こう言ったのです。

「お嬢さん方、私にめんじて、あの青年をそっとしておきなさい。あの人は私たちすべての頭上をはるかに越えて、どんどん伸びてゆく人なのですよ。」

年上のゲーテは、絶えず憂鬱そうな顔つきをしているこの青年の才能を、しっかりと見抜いていたのです。この子には、自分自身の知性によって物事の本質を見てとることにかけての、天性の素質がある。この時の言葉は、それを言ってもらった当の青年にとって、生涯を通して忘れえないものとなりました。「あのゲーテが、僕のことを認めてくれた。」いつも孤独であったショーペンハウアーにとって、大文学者であったゲーテとこうして知り合うことができたことこそ、彼が後に「生涯の中で最も喜ばしく、最も幸福な事件」と呼ぶ出来事にほかなりませんでした。

最初に掲げた文章の言葉通り、ショーペンハウアーは晩年が近づいたときになってようやく、自分の仕事が世間から認められるようになります。長い不遇時代を辛抱してくぐり抜けたというわけで、途中には、自分の哲学の仕事はほとんど何一つ認められることなく終わるのではないかと思い悩むことも多々あったことでしょう。そんな中、ゲーテという人が彼の資質を認め、親しく交わってくれたことは、彼にとっては宝物のような思い出であったに違いありません。たとえ世間から認められることがなくとも、本当に親しい人が自分のことを深く理解してくれてさえいるならば、人間は戦い続けることができる。上に掲げた文章を書きつけた時、ショーペンハウアーの心は、人知れぬ長い戦いの成果がついに実った後の、深く静かな喜びで満たされていたのではないでしょうか。

おわりに

ショーペンハウアーの人生を眺める人は、たとえ一時は孤独を感じるようなことがあるとしても、一つ一つの出会いを大切にして道を歩むならば、きっとその辛抱は報われるだろうとの晴れやかな思いを抱かされて、希望をもって自分自身の人生へと帰ってゆくことができることでしょう。なお、著名人たちとの派手な交流や、アゲアゲなセレブ生活をこよなく愛し続けたヨハナ・ショーペンハウアー夫人の存在は今日、憂鬱症の息子の若き日の予言通り、「哲学者ショーペンハウアーの母」としてのみ人類の記憶に残っています(ちなみに、彼女はその後も長生きはしたとのことです)。

 

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