摩天楼の間をまるで幽霊がうようよ 小出雅生 【この世界の片隅から】

復活祭が開けたイースター連休の最終日4月21日の昼すぎ、ローマ・カトリックのフランシスコ教皇の帰天が報じられた。バチカンニュースによれば、教皇は肺炎から回復基調でバチカンでの復活祭ミサを司式する姿も報じられていただけに驚きだった。香港でもフランシスコ教皇の気さくな人柄がよく報じられ、特にあるインタビューの中で「同性愛者は同じ神の被造物として尊敬されるべきであり、差別されるべきではない」との発言が大きく報じられ、香港での同性婚論争で香港基本法にある家族を築く権利を同性カップルにも拡張し、最近の公営住宅への入居申請を問うた裁判へ、少なからず影響があった。

24日には、香港の陳日君枢機卿がバチカンでの教皇の葬儀ミサに参加するために、警察からパスポートを返却されたと報じられた。陳日君枢機卿は2019年の抗議活動で逮捕された人たちに裁判費用を募金でサポートしようという「612基金」の呼びかけ人であったため、国安法で逮捕され、パスポートが警察に差し押さえられていた。中国国内のカトリック司教の任命権をめぐる中国との交渉で折衷案を暫定合意に持ち込んだフランシスコ教皇を、たびたび「中国の体制を理解していない」と批判してきた陳日君枢機卿だが、4歳も若い教皇を先に見送ることになった。

そして、香港も明るい話題は少ない。返還前から普通選挙を目指してきた香港の民主党が党員大会で解散を決め、清算手続きに入った。他の政党もすでに解散を決めたか休眠状態で、いわゆる民主派と呼ばれた主要政党はほぼなくなった。

他にも香港での世論調査をしてきた香港民意研究所(PORI)が、資金難などを理由に活動の無期限停止を宣言した。今までPORIが行ってきた天安門事件への評価や自分は何人だと思うかなど、香港人のアイデンティティに関する調査はこれからできなくなるかもしれない。

また、日本で近々大地震が起こるとの噂が拡がり、日本への「帰省(香港では日本を『故郷』と呼ぶぐらい好きな人は日本への旅行を帰省と呼ぶ)」が減り、代わりに大陸の近場へ行く人も増えた。高速鉄道による日帰り圏の拡大もあり、香港で泊まったり夕食をしたりする人も思うように回復していないと聞く。また香港の人たちも、スピード重視である意味乱暴な接客が目立つ香港より、例えば深圳の方が安くて丁寧な接客なのだという。コロナ期間中より、コロナ後の方が多くの飲食業店がつぶれている。ある新聞では、空き店舗率が10%を超えたという。実際の街を見ても街の中にはクレーンゲームとカプセルトイのみを設置している店が目立つ。コロナのころ、使い捨て医療用マスクをクレーンゲームで取れる店が出現し、生々しかったが、コロナ後、かわいいぬいぐるみを見るたびに複雑な思いだ。

そんな中、友人がまた一人、息子の中学進学を前にイギリスに移住した。また会いたい時に会えない人が一人増えた。移民で出ていった友人たちはSNSに書けば返事は来る。でも早々会えない。そのため、亡くなられてしまった方とはまた違う複雑な思いがある。

帰天した人、していない人、それでも会えない人、祈り続けることでつながり続けること、そしてまた会えた時に和解を目指すべきこと、今ある時間はそのために与えられた猶予の時間なのかもしれない。また香港に残ることを選んだ者の責任だと思う。

今、目の前にある香港に、いろいろな時間が行き来する。今会えない人の面影が、私の町の一部になっているからだ。でも、ある意味止まったままの時間、それを先に進めるためにも和解が必要だと思う。死に切れていない魂が苦しむとは、まるで第二バチカン公会議以降、カトリックでは強調されなくなった煉獄のようだ。もう夏のような日差しになりつつある香港の摩天楼の間を、無数の幽霊が行き来する。照り返しを受けて流れる汗の流れる先に。

こいで・まさお 香港中文大学非常勤講師。奈良県生まれ。慶應義塾大学在学中に、学生YMCA 委員長。以後、歌舞伎町でフランス人神父の始めたバー「エポペ」スタッフ。2001年に香港移住。NGO勤務を経て2006 年から中文大学で教える。

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