戦後東アジア情勢と台湾・東海大学の設立 王 政文 【この世界の片隅から】

台湾の東海大学は、台中市に位置するキリスト教系大学である。広大なキャンパスを有し、その面積は134ヘクタールに及び、現在の学生数は1万5千人を超える規模である。

1860年のアロー戦争(英仏連合軍の侵攻)以降、清朝政府が西洋の宣教師による布教を認めるようになると、プロテスタント諸派は次々と中国にキリスト教系大学を設立した。代表的なものとして、燕京大学、金陵大学、金陵女子大学、聖約翰大学、斉魯大学、之江大学、滬江大学、華中大学、華西大学、嶺南大学、東呉大学、福建協和大学、華南女子文理学院の13校が挙げられる。しかし、1949年の中華人民共和国成立後、中国政府は1952年12月に「米国の資金援助を受ける文化・教育・救済機関および宗教団体の処理に関する方針」を発表し、外国資金を受ける大学はすべて公立化された。これにより、中国大陸のキリスト教大学は終焉を迎えた。

1949年、国民党と共産党の内戦の結果、国民党政府は台湾へ移転した。戦後の台湾では、教育界やキリスト教関係者が、「在華キリスト教大学連合理事会」(1932年設立、1956年に「アジア・キリスト教高等教育連合理事会」に改称、以下)に対し、中国大陸でのキリスト教教育の精神を継承し、台湾で理想的な大学を設立するよう提案した。

1953年11月、米国副大統領リチャード・ニクソンが東海大学の起工式を執り行う。

1951年6月、燕京大学の元会計長であった蔡一諤(1899~1991年)とアルネ・ソヴィック(1918~2014年、漢字名:魏徳光)は、連合理事会に対し台湾の高等教育支援を要請した。また、金陵大学や燕京大学の卒業生も台湾での復校を提案した。その代表的な人物が、後に東海大学創設準備委員会主任および初代理事長を務めることになる杭立武(1903~1991年)であった。同年、連合理事会の代表団が台湾を訪問した。農業復興委員会主任であった蔣夢麟(1886~1964年)は、台湾の教育・教会関係者約120名を招集し、連合理事会代表と面会させた。この席で、台湾に新たなキリスト教系大学を設立する提案がなされ、代表団はこれを前向きに検討することを約束した。

1951年5月の連合理事会年次会合で、新任の事務総長であるウィリアム・フェン(1904~1993年、 漢字名:芳衛廉)は「視野、無限(Horizon, Unlimited)」をテーマに講演し、中国大陸以外のアジア地域へキリスト教高等教育を広げる方針を示した。1952年2月、フェンは台湾を訪れ、台湾の教育水準に適した国際的な大学の設立を決定した。同年4月2日には、連合理事会に「台湾に設立すべきキリスト教大学の理想像」に関する覚書を提出した。その中でフェンは、この大学の目的を「台湾の住民に奉仕すること」とし、「西洋人や中国大陸出身者は補助的な立場にとどまるべき」と明言した。さらに、この新大学は過去のいかなる大学の模倣でもなく、亡命機関でもないと強調し、運営の主体を台湾人とする方針を示した。

1953年6月、連合理事会は米国オーバリン大学の元神学部長であるトマス・グラハム(1896~1967年、漢字名:葛蘭翰)を代表に任命し、フェンと共に台湾に派遣した。彼らは大学設立準備委員会を設立し、5万米ドルの準備資金を提供した。連合理事会の初代理事長には杭立武が選ばれた。準備委員会のメンバーは、連合理事会代表3名(グラハム、ソヴィック、他1名)のほか、台湾基督長老教会代表4名(黄彰輝〔Shoki Ko〕、他3名)、中国大陸からの移住者3名(杭立武、蔡一諤、他1名)で構成された。

東海大学の初期理事会はバランスの取れた構成をとっていた。すなわち、外国人6名、台湾基督長老教会関係者5名、中国大陸出身の教育関係者5名という配分である。この構成は、米台関係や台湾内の本省人〔戦前からの居住者〕と外省人〔戦後の中国大陸からの移住者〕のバランスを反映したものであった。ただし、理事は全員がキリスト教徒であった。

台湾基督長老教会からは、南部長老教会系の代表が中心となったが、中国大陸からの移住者は、過去に中国のキリスト教系大学で学んだ者が多く、杭立武(元金陵大学生)、蔡一諤(元燕京大学総務長)などが代表例である。外国人理事のほとんどは、教会の牧師や神学教授であった。特筆すべきは、台湾基督長老教会の影響力である。理事には著名な神学者である黄彰輝や、黄武東など複数の長老教会の牧師も参加しており、長老教会が東海大学の創立において極めて重要な役割を果たしていたことが分かる。

戦後の台湾において、キリスト教勢力はさまざまな思惑を抱えていた。一方では中国大陸のキリスト教大学の伝統を継承しようとする動きがあり、他方では元より台湾に新たな大学を創設する機運が高まっていた。さらに、米国のキリスト教団体は、台湾を拠点に影響力を維持しようと試みていた。東海大学の設立は、単なるキリスト教大学の再建ではなく、戦後の国民党と共産党の関係、米中台関係の変化の中で、各勢力がどのように資源を活用し、新たな大学を創設したかを示している。中国大陸出身者、台湾のキリスト教勢力、西洋の宣教師たちが協力し、それぞれの利害を調整しながら、この大学を誕生させたのである。

(原文:中国語、翻訳=松谷曄介)

王 政文
 おう・せいぶん 国立台湾師範大学歴史学博士、東海大学歴史学部副教授。専門は台湾史、台湾キリスト教史。特にキリスト者の社会ネットワーク・改宗プロセス・アイデンティティーの相関関係を研究。著書に『天路歴程:清末台湾基督教徒的改宗与認同』(2019年)など。

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