主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、詩篇の138篇です。よろしくどうぞ。
詩篇 138篇6節
まことに恐縮ですが主は高くあられますが
低い者を顧みてくださいます。
しかし高ぶる者を遠くから見抜かれます。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
立場が高くなればなるほど、立場の低い人のことが見えなくなり、わからなくなってしまうのが人間の一つの性質かと思います。「立場」と言うと少しわかりにくいですが、例えばこれを「年齢」にあてはめてみると少し分かりやすいかも知れません。人は年齢を重ねると若い頃の視点だとか、ましてや子どもの頃の視点は忘れてしまいがちです。そしてつい「若いくせに生意気だ」とか「子どものくせに生意気だ」なんてことを思ってしまったりします。「立場」でもこれは同じようなことが言えるのかと思います。出世して偉くなると、まだ偉くなかった頃の気持ちを忘れてしまったりしますし、立場の低い人の苦しさを忘れてしまったりもします。もちろんそこには立場の高い人ならではの新しい苦しさがその人のことを現在進行形で襲うので、限界のある人間にはやむを得ないこととも言えます。大人には大人の苦しさがあり、いつまでも子どもの頃の問題にばかり関わっているわけにはいかないのと同じです。
しかし神様は、究極まで立場の高い方でいらっしゃるのに、低い立場の人のことをちゃんと見て、ちゃんとわかってくださっていると、ダビデはこの詩で語っています。これはリーダーとしての一つの必須な資質なのかと思います。リーダーには確かにリーダーとしての独自の、目の前の、自分の問題を抱えます。それはなかなか他の人と共有できるものではありません。だから「リーダーは孤独」とよく言われるんです。しかしだからと言って、部下の心配事や問題を無視していいわけではありません。むしろリーダーはそれまで以上に部下の心配事や問題に寄り添わなければいけない場面が増えることでしょう。自分の視線だけではなく、時には部下の視線をも持つことができる。これがリーダーの資質かと思います。
一方で、神様は高ぶる者を見抜くとも記されています。ただ部下の視線に立って寄り添う
優しいだけのリーダーではリーダーは務まらないということです。そしてこの場合は「遠くから」とも記してあります。大局をみて、部下が妙な動きをしていないかどうか、それを把握していることもリーダーには欠かせないことです。部下の誰が今どこにいて何をしているか、それを把握できなくてはいずれ部下の離反にあうことになるかもしれません。離反というと聞こえが悪いですが、もしかしたら何かの問題でチームの方針から遅れてしまったり逸れてしまったりしている部下がいるかもしれません。そういった兆候に気づくためには大局的な視点が必要です。
短くまとめれば誰よりも近く同じ視点で寄り添うことと、適切な距離をとって大局的に動きを把握すること。この二つの相反することが、理想のリーダーには求められるということかと思います。神様というのは理想のリーダーです。ですから神様を見上げることは自分のリーダーシップを見つめ直すことにもなります。そして現代のこの殺伐とした社会にこそ、聖書の示すリーダー像が求められているように思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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