【宗教リテラシー向上委員会】 共に「待ち望む」新たな1年 與賀田光嗣

昨年の12月はクリスマス関係礼拝を11回行った。コロナも落ち着き、勤務校のクリスマス礼拝を神戸の聖ミカエル大聖堂で再開することになったからだ。1日目には高1と高3の礼拝を、2日目の午前には高2の礼拝を行い、午後には特別履修センターの礼拝を予定していた。特別履修センターとは、なかなか教室に行きづらい生徒たちのための、一種の退避場である。

勤務校は創立以来、生徒のさまざまな悩みに対応する教育相談室を設けた。文科省によるスクールカウンセラー制度開始が1995年からであるから、かなり先駆的な稼働といえる。私立ならではの、キリスト教主義学校ならではの強みである。

特別履修センターはチャペルの横の建物に設置されている。チャペル近くに自転車が駐輪してあると、今日は誰か登校していることが分かる。彼ら彼女らがたまに昼の礼拝に出席することもあり、教室と異なる機能が学校にあることの重要性を感じる。自分の居場所が、学校の敷地内にあることは良いことだろう。

とはいえ、聖ミカエル大聖堂は神戸の中心部にある。学校に行きづらい生徒たちにとっては、繁華街を歩くことや、宗教施設への外出はなかなか難しいものがあるのではないか、と考えていた。礼拝が始まる時間まで、大聖堂にはクリスマスを迎えるためのパイプオルガンの楽の音が響き渡っていた。そこへ一人の生徒がやってきた。

その生徒の存在は、私や他の教員たちを笑顔にしてくれるものだった。クリスマスの季節は「待ち望む」ことを通して主との出会いを喜ぶものだが、その日のクリスマスプレゼントはその生徒自身だったのだ。

数日後、特別履修センターの2学期終業礼拝が勤務校のチャペルで行われた。そこにその生徒はまた来てくれた。互いの存在を喜ぶこと、それが私たちの心に光を灯してくれる。この光が、私たちの人生の暗闇、つらい時や悲しい時、さまざまな暗闇の中でも、私たちの心を確かに温めてくれるのだ。

クリスマスの物語は、暗闇を行く人々の物語だ。羊飼いたちは、天使たちの言葉によって胸が温められ、その温もりを頼りに暗闇の中を歩んだ。彼らが見たのは、貧しい飼い葉桶の中に眠る幼子の姿だった。小さな命が、温もりが、貧しさという暗闇の中で輝いてる。その存在は羊飼いたちの心を温めた。

3人の博士たちは、星の光を頼りに幼子のもとへたどり着いた。この光は、大きな光ではなかったかもしれない。もし誰にでも分かる大きな光ならば、もっと多くの人たちが幼子を訪れただろう。博士たちは自分が確かに見た光を、大切に見続けたのだ。自分の心を温めた何かを、大切にすることを博士たちの旅路は教えてくれる。
ヨハネによる福音書は、このクリスマスの出来事を深い文章で描き出している。「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」(ヨハネ1:4、5=新共同訳)

私たちの「暗闇は光を理解しなかった」ことが多々あるのだ。すでに光が与えられているというのに。それは他の人から見たら小さな明かりかもしれない。だが、自分の人生において、大きな意味を持つ光が確かにある。それは誰かからの言葉や、一緒に過ごした時間や、誰かの温もりかもしれない。それは、誰かの存在そのものなのだ。そして自分自身が、誰かにとってのそのような存在なのかもしれない。

だから「待ち望む」ことが必要だ。誰かの存在を「待ち望む」ことが。自身に与えられた光を見つけるまで「待ち望む」ことが。この一年、生徒たちと共に「待ち望む」ことを通して、キリスト教主義学校の役割を果たしていきたい。

與賀田光嗣(神戸国際大学付属高等学校チャプレン)
よかた・こうし 1980年北海道生まれ。関西学院大学神学部、ウイリアムス神学館卒業。2010年司祭按手。神戸聖ミカエル教会、高知聖パウロ教会、立教英国学院チャプレンを経て現職。妻と1男1女の4人家族。

関連記事

この記事もおすすめ