世界教会協議会(WCC)は10月25日、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞に選ばれたことを受け、トール・B・ヨルゲンセン名誉司教(ノルウェー教会、近畿福音ルーテル教会、英国ルーテル教会の牧会に従事)の「The big surprise」と題する寄稿を公式サイトに掲載した。
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ノルウェー・ノーベル委員会が10月11日、2024年のノーベル平和賞を日本の「日本被団協」に授与すると発表したことは、大きな驚きをもって受け止められた。1945年8月の広島と長崎の原爆被爆者で構成されるこの団体は、1956年に設立された。1945年8月6日の広島、3日後の長崎への原爆投下とその直後に、12万人が死亡、65万人が被爆者(hit-explosion-person)として生き長らえたと推定されている。
被爆者は、その後の数カ月間、数年間で経験した身体的、精神的な影響に加え、そのことを口外することを許されなかった。1952年まで日本を占領していたアメリカも、日本の当局も、核災害が人間やその地域の環境に与えた現実を認めたがらなかった。戦争と最初の二つの核爆弾投下に責任のある人々に恥をかかせる代わりに、恥をかかされたのは被害者だった。彼らの苦悩はほとんど注目されなかった。人々は彼らの苦情を聞こうとはせず、彼らはほぼ何の支援も補償も受けられないまま放置された。
日本被団協が1956年に設立された際の目的は、第一に「すべての被爆者の社会的・経済的権利を促進する」ことだった。しかし、第二の目的も明確に掲げられていた。それは、「被爆者が経験したような惨禍を二度と誰にも経験させない」というものだった。そして、これが70年以上にわたって彼らが取り組んできたことだった。
私は12年間(1974年から1989年まで)日本に住んでいたことがあり、被爆者の方々にも何度かお会いした。彼らが悲惨な過去を語り、核兵器のない世界へのビジョンを共有する際に発する、強い思いと伝達力にいつも感銘を受けている。そのメッセージは明確だ。彼らが経験したようなことは二度と誰にも経験させてはならない。二度と広島や長崎を繰り返してはならない(ノー・モア・ヒロシマ、ノー・モア・ナガサキ)。
私は、彼らの証言が核軍縮への取り組みに重要な貢献を果たしてきたと確信している。彼らの証言は、平和運動と同様に世界の指導者たちに影響を与えてきた。核兵器が最初に使用され今のところ最後となっている戦争状況下以来、80年近くの間、この種の兵器の使用に対する一種の現実的なタブーが存在してきた。
日本被団協の素晴らしい貢献は国際的に評価されるべきである。「被爆者は、言葉にできないことを表現し、考えられないことを考え、核兵器による理解不能な苦痛を何とか理解できるように助けてくれる」と、オスロで2024年の受賞者を発表したノルウェー・ノーベル委員会の現委員長、ヨルゲン・ワトネ・フリドネス氏は述べた。
私の知る限り、日本被団協は1994年に国際平和ビューローから推薦されて以来、少なくとも30年間、委員会で議論されてきた。翌年、1995年の受賞者であるパグウォッシュ会議の紹介においては、カナダの会議場にちなんで名付けられた反核機関であるパグウォッシュ会議も、被爆者と日本被団協に言及した。
1985年に核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が受賞したことを思い出そう。そして2017年、私たちは思い出す。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞したのだ。また、1970年に核拡散防止条約(NPT)に調印したことを受け、1974年に日本の佐藤栄作首相が受賞したことも思い出そう。それもまた大きな驚きだった。当時、日本に住んでいた私にとって、その驚きは今年のそれとはまったく異なるものだった。佐藤氏は、国際政治の世界では平和の象徴とは見なされていなかった。それから50年が経ち、反応はまったく異なるものになった。そして、12月にオスロで行われる受賞記念行事も楽しみだ。
残念ながら、今日、核兵器の使用に対するタブーが脅かされているという憂慮すべき事態が進行している。核保有国は核兵器の近代化と改良を進めており、新たな国々が核兵器の獲得を準備しているように見受けられる。また、現在進行中の戦争において核兵器の使用をちらつかせるような脅しがかけられている。フライドネス氏が結論づけたように、「人類の歴史上、この瞬間において、核兵器とは何かを思い出す価値があります。核兵器とは、世界がこれまでに経験した中で最も破壊的な兵器なのです」。
世界中の教会は核の脅威を深く憂慮しており、1948年のWCC初会合(アムステルダム)では、「無差別な原子兵器の破壊と、現在の国際社会における戦争の役割は、神に対する罪であり、人間性の堕落である」と述べられている。
2015年、WCCは広島と長崎での70周年記念行事に巡礼団を派遣した。巡礼はまだ終わっていない。あらゆるレベルでの祈りと関与が、残念ながら今も必要とされている。
今日、大きな問題となっているのは、核兵器を使用しないというタブーを維持することだけではなく、これまで以上に、核兵器の全面禁止だ。
(翻訳協力=中山信之)