「いざや楽しきまどいせん」 新井健二 【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】

前回は、私たちの教会で持たれている「伝道」と「交わり」とDIY活動を兼ねた「クロスロード」という集まりについて書きましたが、今回は、それとは別に昨年の春から新たに始まった、私たちの教会独自の活動についてご紹介させていただきます。

その活動は「ファイヤーサイドミーティング」と呼んでいます。要は「焚たき火を囲む会」のことなのですが、先に挙げた「クロスロード」という名称からも分かる通り、アメリカ人宣教師の教会で洗礼を受け、洋画や洋楽にかぶれている私は何かと横文字にしたがる悪い癖があるように思います。

いずれにせよ、この「ファイヤーサイドミーティング」を持つようになったきっかけは、いわゆるコロナ過以降、世の中でソロキャンプやアウトドアが流行し始めたことに加えて、それと時を同じくして、とあるSNSの中で「焚き火を囲む仲間たちの会」というクリスチャンのグループに参加させていただいたことでした。

長い話を短くすれば、そのグループに参加することで「焚き火を囲む」という行為自体が非常にキリスト教的に意義あることだと感じたことに加えて、私たちの教会の文化にも非常にマッチしていると感じたのです。その上で、「ファイヤーサイドミーティング」には裏のコンセプト――というほど大それたものではありませんが――「焚き火を囲む」ということに加えて、もう一つのイメージがあります。

それは長らく、私が教会の中に実現したいと願っていた「団居(まどい)」というイメージです。この「まどい」という日本語は現在ではあまり使われなくなり、別に「車座(くるまざ)」になるとか「団欒(だんらん)」するなどと言うこともありますが、私としてはドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」としても知られる「遠き山に日は落ちて(家路)」の「遠き山に 日は落ちて 星は空を ちりばめぬ きょうのわざを なし終えて 心軽く 安らえば 風は涼し この夕べ いざや 楽しき まどいせん」という歌詞から、この「まどい」という言葉を好んでいます。

つまり、「ファイヤーサイドミーティング」のコンセプトは「みんなで焚き火を囲んで、『いざや楽しきまどいせん』」なのです。そして、そのような「まどい」の中心には、いつも主イエスがおられること、それこそが、前回の最後に書いた「ナルニア」のような教会と並んで、私の理想とする教会の姿でもあります。

「ファイヤーサイドミーティング」の中での私の役割は、焚き火を起こし、食事の支度を整え、コーヒーを淹(い)れることで、他の参加者の皆さんに、なるべくくつろいで「交わり」に集中していただくことです。それは、ヨハネの福音書21章9節から13節に描き出されている主イエスの姿を模範としています。すなわち、そこで主イエスは弟子たちのために「炭火」を起こし、「魚」と「パン」を焼いておられます。ご承知の通りその「まどい」の中で使徒ペトロは、主イエスによって過去の過ちから解放され、「わたしの羊を飼いなさい」という使命を託されて派遣されました。そのような解放と任職と派遣が、教会という「まどい」の中で繰り返し起こり続けるようにと、日々、心から願っています。

あらい・けんじ 1977年千葉県生まれ。機能不全家族の中でアダルトチルドレンとして育つも、25歳で信仰に導かれる。友愛キリスト教会(岐阜県各務原市)牧師、社会福祉士、精神保健福祉士、LGBTQ+ ally。趣味は焚き火、映画鑑賞、読書は哲学書から漫画まで、音楽は洋楽・邦楽を問わずロックから演歌、クラシックまで幅広く。

UnsplashのMilada Vigerovaが撮影した写真

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