「生涯を捧げるに値するもの」の見分け方【聖書からよもやま話484】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エゼキエル書の6章です。よろしくどうぞ。

 

エゼキエル書 6章4節

わたしはあなた方の中の刺し殺された者どもを、あなたがたの偶像の前に投げ捨てる。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

今日の箇所はなんだか神様が恐ろしいことを言っています。「刺し殺して偶像の前に投げ捨てるぞ!」と。これだけ聞いたらもはやもう凶悪なマフィアみたいなことになっています。

でも前後を読めば、神様は「正しいものを信じなければ身も心も滅ぼすことになるよ。そして間違ったものの前で倒れることになるよ」と、そう教えていることがわかります。

僕たちはどうしても間違ったものに流されやすいものです。お金だとか地位だとか名誉だとか異性だとかギャンブルだとか、他にも様々な「間違ったもの」に流されて、それに人生を振り回されてしまいます。しかしそのままでは、お金に振り回された人はお金に、地位に振り回された人は地位に、名誉に振り回された人は名誉に、しっぺ返しを食うことになります。つまり「偶像の前に投げ捨て」られてしまうんです。

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UnsplashSuhash Villuriが撮影した写真

正しいものは、それに従って生きても、振り回されても、それにしっぺ返しを食らうことはありません。神様を信じて、神様からしっぺ返しを食らった人なんて誰もいないんです。神様を信じて神様に滅ぼされた人なんていないんです。反対に言えば、それに振り回されてそれにしっぺ返しを喰らい、それによって身を滅ぼす可能性のあるものはみんな何でも「間違ったもの」、つまり偶像であると言えます。

自分の人生を賭けるに値するもの。それを見極めるのは難しいものですが、このように考えるなら大きなヒントを得ることができると思います。つまり、それによって振り回されて身を滅ぼす可能性があるか否か。お金も地位も名誉も異性も何でも、それ自体は悪いものではありません。しかしそれは人生を賭けるに値するものでしょうか。それはどれも、人生のために必要な時もあるでしょう、大切にすべきでもあるでしょう。しかしそれに振り回されては本末転倒です。それに生涯を捧げるに値するものは実は決して多くはないんです。

 

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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