「恵み(カリス)は常に感謝の応答を求める(ユーカリステイア:つまり、恵みは常に感謝の応答を求める)。恵みと感謝は、天と地のように、セットで存在するべきである。声がこだまを呼び出すように、恵みは感謝を喚起する。稲光には雷が続くように、恵みには感謝が続く。」(カール・バルト『教会教義学』)。神とは喜ばれる人格的な存在である。神を喜べるようなものとしてわたしたちは創造され、贖(あがな)われたのである。弟子としてのすべての行為は、喜びを経験する場所に到達する。神への同意の一歩一歩が、楽しむ心の余裕を育てて行くのである。楽しむべきことが益々増えていくだけでなく、それを楽しむための能力も着実に身に付いて行くのである。
何より、終わりの時にある楽しみを味わうために終わりの時まで待たなければならないわけではない。そのため、「来たれ、主を祝福し給(たま)う……主があなたがたを祝福し給う」。
神よ、わたしはあなたを心を尽くして感謝している。
あなたの御業について、わたしはこの書を書いている。
―― 詩編9編1節