党派、教派を問わず、信仰において一致する日本のクリスチャン政治家のネットワーク「オリーブの会」の代表である、岐阜市の柴橋正直市長が昨年10月17日、同会メンバーの五十嵐義隆氏とイスラエル大使館を訪れ、「ハマスのイスラエルに対するテロ攻撃に関する声明」を手渡した=写真。同声明は、ハマスによる民間人の殺傷やテロ攻撃を非難しつつ、イスラエルとパレスチナ双方の犠牲者を悼み、「イスラエルの平和のために祈る」「イスラエルの側に立つ」との立場を表明している。
10月26日の定例記者会見で柴橋氏は、SNS上でイスラエルに寄り添うような趣旨の投稿をしていることについて「公人としての立場でイスラエルへの支持を表明されていることへの見解」を問われ、「『平和をつくるものは幸いだ』という聖書の言葉にあるとおり、すべてにおいて平和が大事だという考え方」「イスラエル、パレスチナ、双方に対して、平和を求めるというスタンス」を強調した上で、ハマスの行為は「さまざまな証拠、音声、動画が出ていますが、これは絶対に許されるものではないと、赤ちゃんの首を切る行為などはありえないことだと思っておりますし、世界が決して許してはいけないことだと思っております」と答えている。
これを受けて、日本基督教団の安達正樹氏(名古屋新生教会牧師)、川上侑氏(各務原教会牧師)、西川幸作氏(岐阜県内牧師)、柳本伸良氏(華陽教会牧師)[五十音順]を呼びかけ人とする「攻撃と報復の停止を願うキリスト者有志」は2月19日、同声明に関する意見表明を公表。「『クリスチャンならイスラエルの側に立つこと、イスラエルに味方することは当然で、正しいこと』というメッセージを発しているように見える」とし、「イスラエルの軍事支配下で行われてきたことも、無批判に支持できるものではありません。町や村を分断する入植地の壁の建設、農地の破壊、土地の没収、市民が犠牲になる爆撃など、子どもも大勢巻き込まれています」と異議を唱えた。
さらに「『エルサレムの平和のために祈れ』と聖書に書いてあることを理由に、私たちが『イスラエルの側に立つ』と表明し、無批判に政権を支持しているように見せることは、正しいと思え」ず、「市議会一般質問における答弁で『クリスチャンならそれが当たり前の態度である』と受け取られかねないメッセージを市長から発せられることに、危機感を覚えます」「人種、民族、信仰の違いを超えて、全ての人に平和がもたらされるよう、祈りを合わせていただけたら」と加えた。
この意見表明には現在、教派・教団を超えて30人を超える牧師・
なお12月3日には、東京圏を中心に、宮城、静岡、兵庫など各地のキリスト教会や団体から、(中川健一、大川従道、金子道仁、明石清正の各氏含む)15人の牧師や教会指導者がイスラエル大使館を訪問。「長年にわたり日本のクリスチャン・コミュニティでイスラエルへの理解を促進されてきた方々」に対し、「コーヘン大使はイスラエルを代表し、その揺るぎない支援の姿勢に感謝の意を示し」たと報告されている。
柴橋市長の声明と、同声明に関する意見表明の全文は以下の通り。
ハマスのイスラエルに対するテロ攻撃に関する声明
2023年10月17日
オリーブの会 会長 柴橋正直
10月7日、ハマスがユダヤ教の祭日であるシムハット・トーラーを狙い、多数のロケット弾をイスラエルに発射するとともに、イスラエル領内に侵入し、民間人等を殺傷、拉致したテロ攻撃により多数の犠牲者が発生していることに関して、断固これを非難する。
犠牲となられたイスラエルとバレスチナの全ての方々に、心より哀悼の意を表するとともに、負傷された方々にお見舞い申し上げる。
私たちオリーブの会は、党派、教派を問わず、主イエス・キリストへの信仰において一致する日本のクリスチャン政治家のネットワークであり、
エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。」(詩篇122:6~7)
との聖書の御言葉の通り、イスラエルの平和のために祈る。私たちはイスラエルの側に立つとともに、アブラハム、イサク、ヤコブの神であり、私たちの創造主なる神ご自身が、イスラエルを加護されんことを祈る。そして、世界に真の平和が実現するように、キリストの福音が全世界に宣べ伝えられ、福音が完成することを祈る。
主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。(黙示録22:20~21)
オリーブの会会長 柴橋正直岐阜市長の声明に関する意見表明
2024年2月19日
2023年10月17日、柴橋正直岐阜市長が、クリスチャンの政治家でつくる団体、「オリーブの会」会長として『ハマスのイスラエルに対するテロ攻撃に関する声明』を在日イスラエル大使館に届け、12月7日の岐阜市議会で報告を行い、答弁をしたことが、朝日新聞や中日新聞で取り上げられました。
声明には、ハマスによる民間人等の殺傷やテロ攻撃を非難する言葉と、イスラエルとパレスチナ双方で犠牲となった方への哀悼の意が表されていた他、「私たちはイスラエルの側に立つ」という言葉が、詩編122編6節〜7節を理由に述べられていました。
これを受けて、私たちは同じクリスチャンとしてショックを受けています。なぜなら、単に「イスラエルの平和を願う」言葉というより「クリスチャンならイスラエルの側に立つこと、イスラエルに味方することは当然で、正しいこと」というメッセージを発しているように見えるからです。
しかし、そのような意見はクリスチャンの総意ではありません。また、イスラエルの軍事支配下で行われてきたことも、無批判に支持できるものではありません。町や村を分断する入植地の壁の建設、農地の破壊、土地の没収、市民が犠牲になる爆撃など、子どもも大勢巻き込まれています。これらを黙殺して、クリスチャンなら無条件で「イスラエルの側に立つ」と言うことはできません。
聖書においても、「神に選ばれた民」であることを理由に、イスラエルの行為や政権が、無批判に支持されてきたわけではありませんでした。神が遣わす預言者によって、イスラエルによる誤った行為の指摘や王への批判も行われてきました。救い主イエス・キリストも、異邦人かイスラエルの民か、どちらか一方に立って裁きを行ったのではなく、全ての民の罪をとりなし、互いに愛し合うよう教えてきました。
現代においても、「エルサレムの平和のために祈れ」と聖書に書いてあることを理由に、私たちが「イスラエルの側に立つ」と表明し、無批判に政権を支持しているように見せることは、正しいと思えません。ましてや、市議会一般質問における答弁で「クリスチャンならそれが当たり前の態度である」と受け取られかねないメッセージを市長から発せられることに、危機感を覚えます。
どうか、私たちだけでなく、他にも多くのクリスチャンが、このような問題意識を持っていることを広く知っていただきたいと思います。そして、人種、民族、信仰の違いを超えて、全ての人に平和がもたらされるよう、祈りを合わせていただけたらと思います。
キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。(エペソ人への手紙2章14節〜15節a=新改訳)
攻撃と報復の停止を願うキリスト者有志