教会は、み言葉に耳を傾ける場所です。それは、マルタとマリアが主イエスを家にお迎えした時のこと。忙しくもてなしていた姉マルタは、主イエスの足もとに座って話を聴くばかりの妹マリアに対しいら立ちを覚えていました。そこで主イエスはおっしゃいました。「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を遣い、思い煩っている。しかし、必要なことは一つだけである。マリアは良いほうを選んだ。それを取り上げてはならない」(ルカによる福音書10章41~42節)
茨木教会は、私たちが赴任する1年前に「婦人会」が解消され、同時に年齢性別を問わない団体「ひつじ会」が始まっていました。聖書輪読、物作り、体操、手話、クイズなど楽しい企画を通して、毎月交わりを持っておられます。写真は「松ぼっくりクリスマスツリー」を作る様子です。子どもも大人も、女性も男性も参加されて賑わいました。
そこに至った経緯は、例えばジェンダーバイアスの問題への取り組みといったような前向きな理由(なのかなと赴任前は思っていたのですが)ではなく、参加率の低下、委員の負担、意見の相違など思い悩みを抱えて、活動を続けていくこと自体困難であったからでした。築き上げたコイノニアが消滅してしまうことは、さぞ惜しまれたと思います。私は何もできなかったけれども、しかし心配もしていません。不和が生じていた悩める姉妹マルタとマリアを、愛を持って導いてくださった主イエスが、教会の悩める姉妹たちを導かれないはずはないのです。すでに前任地の教会において、婦人会解消後の教会が一つにまとまって交わりを持つ姿を見てきたので、茨木教会も良い意味で同じ道をたどるであろうと確信しています。
昨年9月には新しく「聖書を読む会」が発足されました。聖書は新共同訳でも協会共同訳でもOK。月~土曜は自宅で読み、日曜日に当たる箇所は集まって読み、「400日で聖書66巻を通読する」という計画です。そこには嬉しいことに求道者も参加されています。茨木教会が目指していた共同享受・共同施与・交わりが、ここにあります。
これは父の説教で聴いたことですが、雨水を最も多く溜めておくことのできる場所は森なのだそうです。私たちも毎日聖書を読むことによって心に種を植え、森を作り、降り注ぐみ言葉の雨を溜めておくことができるようになれば、心が潤って枯れることがないのだということです。
「雨や雪は、天から降れば天に戻ることなく/必ず地を潤し、ものを生えさせ、芽を出させ/種を蒔く者に種を、食べる者に糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉も/空しく私のもとに戻ることはない。/必ず、私の望むことをなし/私が託したことを成し遂げる」(イザヤ書55章10~11節)
どうか今、全国各地の教会における交わりが強められ、思い悩むところにはみ心が示されますように。「コレカラ」の方々がみ言葉を聴き、学び、祈り合うことによって交わりを深められますように。「コレカラ」の皆様にとって教会の交わりが笑いあり、学びありの〝本当の〟居場所となっていきますようにと祈っています。
大橋茉莉耶
おおはし・まりや 1989年、東京都で牧師家庭に生まれる。敬和学園高等学校、東京神学大学・大学院終了後、日本基督教団浜北教会に着任し、伝道師を経て牧師となる。2023年度より日本基督教団茨木教会へ転任。2児の母で、趣味は歌うこと。