Q.自死した教会員の葬儀で、語るべき言葉が見つかりません。やはりこれもみ心と説くべきでしょうか。(30代・牧師)
たいへん難しい質問なので、どう答えるべきか迷っているというのが正直な気持ちです。その難しさの理由は、自死者のご遺族の悲しみと衝撃は計りしれないものなので、お慰めするすべがないからです。
自死者のご遺族は悲惨な現場の第一発見者であったり、そうでないとしても本人確認のため無惨な姿になった故人との対面ということも起こります。そのためほとんどの遺族がPTSD(心的外傷後ストレス障害)に似た症状になると言われています。
また病死や自然死と違い、なぜ死んだのかという真の原因がわからないために苦悩します。さらに自死にはマイナスイメージがありますから、その遺族も社会的偏見の目にさらされます。数え上げればもっといろいろなことがあるかもしれません。
とにかく自死者の葬儀の司式者は、以上のようなご遺族の苦悩をできるだけ理解する必要がありますから、じっくりとご遺族のお話しをお聞きすることから始めるべきでしょう。悲しみを共有するために心の内の苦しみをお聞きすることも大切ですが、それと同時に、自死した故人は本来死にたくないのに心の病のゆえに追い込まれ、やむをえず亡くなってしまったわけですから、生前もっていた生きがいや希望、目標などを具体的にお聞きして、そのようは話し合いの中で故人の存在意義を再確認し、故人の尊厳を守ってあげることがより大切なのではないでしょうか。
この場合の自死者はキリストにある教会員ですから、神は彼をも「闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下へと移して」くださったのです(コロサイの信徒への手紙1章13節)。「私の目に貴く、重んじられる」と認められている存在です(イザヤ書43章4節)。
ご遺族にとっては故人の尊厳が守られることがなによりの慰めだと思います。以上述べたように、ご遺族との交わりの中で葬儀の準備をなさるなら、語るべき言葉は主が用意してくださるのではないでしょうか。
さたけ・ときお 1933年山形県生まれ。65年に開拓伝道を始め、日本バプテスト教会連合国分寺バプテスト教会牧師として30年間牧会に従事。その後、同教会の協力牧師となる。国内開拓伝道会(KDK)委員、聖書と精神医療研究会委理事、社会福祉法人いこい理事長を歴任。著書に『この岩の上に――開拓から百人教会へ』(いのちのことば社)。2019年、86歳で逝去。