Q.オウム真理教の末端信者たちが、純粋に世の中を良くしたいと願っていた思いそのものは、同じ「信仰者」として否定されるべきではないと思ってしまうのですが……。(20代・男性)
「オウム真理教」と称する団体は、法的には、もう存在しません。「アレフ」「光の輪」などと名称を変えていますが、教義や信者の一部を引き継いでおり、すべての構成員は、オウム時代の反社会的な行為に責任を負うと言えるでしょう。
多くの信者たちは人生について真面目に考え、純粋に世の中を良くしたいと願って修行に励もうと入信したことでしょう。しかし「オウム真理教」は、教義の面で反人間的・反社会的であることは明確です。人に真理を気づかせるためには嘘をついてもよい、金品に執着する人を救うために、その財産を奪う、悪い行いを重ねる人間を生まれ変わらせるために殺す。こんなことが、修行とされているのです。
反面、一般の信者にどこまで責任が問えるかは、難しいところです。なぜならこの組織は、入信者の自由意思を奪うカルトの性格を強く帯びる教団だからです。その意味で、何も知らずに入信し、脱会もままならなかった信者もまた被害者と言えるかもしれません。「オウム真理教」では、教団に疑いをもつ信者に強力な幻覚剤を投与したり、施設内の独房に入れ、電気ショックなどの拷問で心身を弱らせ信仰を強要しました。
以上は極端な例ですが、カルト団体は、多少の差こそあれ、個人の自由だけでなく、心身と財産を根こそぎむしりとろうとする危険な反社会的集団です。
やっかいなことに、健全な宗教団体とカルト団体を見極めることは、案外難しいものです。カルト団体は多くの場合、たいへん魅力的な方法で善意の人を勧誘します。初めはとても居心地が良く、いったん足を踏み入れてしまうと、あっという間に自由が奪われていきます。マインドコントロールです。カルト団体は、信者の心を支配し、金銭を奪い、身柄を拘束し、脱会の自由を与えません。ですから「オウム」に限らず、カルトは恐ろしい存在です。
末端の信者は社会を良くすることを願っていた、などと呑気なことは言っていられません。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
ひらばやし・ふゆき 1951年フランス、パリ生まれ。イエズス会司祭。上智大学大学院神学研究科博士前期課程、教皇庁立グレゴリアーナ大学大学院教義神学専攻博士後期課程修了。教皇庁諸宗教対話評議会東アジア担当、(宗)カトリック中央協議会秘書室広報部長、 研究企画部長などを経て、日本カトリック司教協議会列聖推進委員会秘書、上智大学神学部非常勤講師。