――サムエルさんはいつ頃から音楽が好きだったのでしょうか?
音楽が大好きな牧師の父の影響で、物心ついたころから音楽が好きでした。
中学生のときに父からギターをプレゼントされたのをきっかけに、見よう見まねで楽器を弾いたり、作詞・作曲をしたりするようになりました。
――独学で楽器や曲作り!まさに「才能」ですね。
どんな子ども時代でしたか?
専門的に学ばずに、自由にやってきたからこそ、音楽を嫌いにならずにいまも続けていられるのかもしれません。
僕は6歳のときに、家族と一緒に韓国から日本へ移住しました。
サムエルというのは本名なのですが、同級生にとっては「韓国人」も「サムエル」という名前も珍しい、さらに「クリスチャン」となるとかなりマイノリティな存在です。
小学生時代は父の仕事の都合で4回も転校しなければならなかったこともあり、なかなかみんなの輪入れず、ひとりで絵を描いたりして過ごすことも多かったです。
今となっては、色々な経験ができてよかったなと思いますが、当時は周りと違うことが辛く感じていました。
――実家が教会という環境も珍しいですし、みんなと違うことが重なると、良くも悪くも目立ってしまいますね。
その葛藤を抱えたまま、思春期を迎えるのでしょうか。
正直に言うと、中学生時代はいじめられていました。
辛い日々でしたが、当時の僕はアメリカに憧れていて、「いつかアメリカに行く!」という夢を持ち、洋楽を聴いたり、曲作りに没頭したりすることで現実逃避をしていました。
幸い、僕には教会や「神様を信じる心」があったからこそ、悪い方向には進まずに済んだのかもしれません。
――クリスチャンホームで育った方からはよく、「思春期の頃は、教会に行くのがいやだった」というお話も聞くのですが、サムエルさんはむしろ逆だったんですね。
そうですね。僕にとって家族で一緒に聖書を読んだり、家庭礼拝をしたりというのは当たり前の環境でした。
だから教会もずっと好きでしたし、僕にとっては居場所でした。
そんなところも、他の子どもたちから変わっていると思われた理由かもしれませんね。
――そうなんですね。では、初めてギターを手にした中学生の頃から、「神様のために音楽を作る」という感覚だったのですか?
いえいえ、当時はいわゆる“厨二病”というか、世界平和がテーマだったり、ラブソングだったり、既存の曲を真似した曲を作っていました(笑)。
高校卒業後に4年間、アメリカへ渡るのですが、ハワイの「Youth With A Mission(ユース・ウィズ・ア・ミッション)」※で学んでいた19歳のときに、課題で作った「Give Thanks to the Lord」が、僕が初めて“神を賛美する”というテーマで書いた曲です。
この曲は僕が初めて人前で披露した、いわゆるデビュー曲でもあって、今でもライブで歌っているんですよ。
※1960年にアメリカで創立された超教派の国際的なキリスト教宣教団体。「神を知り、神を知らせる」ことをモットーに、世界180か国以上で活動している
――YouTubeチャンネルでも公開されていますね。素敵な歌声でした。
いつもどんな風に曲作りをされているのでしょう? (つづく)
子どもの頃から教会は、僕の居場所だった。ゴスペル・シンガー・ソングライター/Samuell Soung(サムエル・ソング)さん 【たまものクラブ】の続きを読む