「存在論的差異」の概念:その内実と広がりを問う
私たちはマルティン・ハイデガーの哲学における最重要概念の一つである、「存在論的差異」の内実に突き当たっています。
「だから真の根源的な差別、それの内的密着とそれの根源的相互分離とが歴史を支えているようなそんな差別、それは存在と存在者との区別である。だがこの区別はいかにして生起するのか?どこで哲学はこの区別を考え始めることができるのか?なるほどそう問いたくもなるだろう。しかしわれわれはここでこの出発について話をしてはならないのであって、われわれはその出発をそれぞれ自分でもう一度成し遂げなければならないのである……。」
この箇所の最後で言われている「その出発をそれぞれ自分で成し遂げなければならない」とは、どのような意味のことを言うのでしょうか。今回の記事では、哲学の書物としての『告白』と出会い直すための準備を進めるという観点から、この点をめぐって考えてみることにしたいと思います。
「私たちは、『ある』の神秘から見捨てられている」:「差異」を「差異」として問うことへ向かって
「形而上学入門」講義から五年後に行われた「ヨーロッパのニヒリズム」講義において、ハイデガーは次のように言っています。
1940年の時点における、ハイデガーの発言:
「われわれは存在者に関わり合っており、そして同時に存在への関与のうちにとどまっている。[…]ということは、われわれは存在者と存在の区別のうちに立っている、ということである。この区別が、存在への関与と存在者への関わり合いとを担っているのである。それは、われわれが気づかなくても、脈々として働いている。こうしてみると、それはその区別項が誰によって区別されるのでもない区別、そのためにいかなる区別者も《現に存在して》いない区別、そしてそのためにいかなる区別領域も決定されていない区別であるように見える……。」
「それは、われわれが気づかなくても、脈々として働いている」という表現に着目してみます。ハイデガーのこの言葉から読み取ることができるのは、彼の言う「存在論的差異」とは、認識する主体としての人間が行う区別の働きを超えて、いわば「人間によって認識されることを待っている」とでも表現するほかないような差異を、あたかも、言葉によって名づけ、指し示す働きを通して「差異」として受け止められることを求め続けているかのような差異を意味するということにほかならないのではないか。
改めて、事態を整理してみます。「存在論的差異」とは、存在者と存在とを結び合わせながら隔てている差異のことを言うのでした。この「存在論的差異」なるものについて考えるにあたって決定的に重要であるのは、私たちは普段、もっぱら「存在者」が形作っている奔流の内に飲み込まれるかのようにして生きており、「存在」の方はほとんど完全に忘却しているという事実にほかなりません。「ある」という至高にして究極の事実は、常に閑却され続けている。人間の世界を絶えまなく駆り立て、「生きることの無意味」という危機を通して脅かし続ける日常の日々が慌ただしく流れ去り、目もくらむような速度と共に過ぎ去ってゆくただ中で、私たち人間存在は「ある」の神秘から見捨てられている。それでも、人間を「ある」から隔てつつ、「ある」の元へとたどり着かせることになるはずの差異は脈々として働いているはずなのであって、思索の営みは、この「差異」を「差異」として言い表す地点にこそ到達するのでなければならないというのが、ここでのハイデガーの主張であるものと思われます。
「われわれはここでこの出発について話をしてはならないのであって、われわれはその出発をそれぞれ自分でもう一度成し遂げなければならないのである。」従って、先に引用した箇所で言われていた「出発をそれぞれ自分でもう一度成し遂げる」とは、哲学の歴史においても、日常の日々においてもこれまで忘れ去られ、閑却され続けていた「差異」を「差異」として見出し、「差異」として名指しながら、「ある」の根源的な意味に再び出会い直すための備えを整えるということを意味します。言葉の営みは、私たちを「死せる日常への締め出し」から引き戻し、生きることそのものへと到達させるのでなければならない。「存在論的差異」の概念は、このような「死から命への実存の移行」の出来事がなぜ起こらなければならないのか、そして、どのようにして起こらなければならないのかを見出だすために、哲学に与えられているほとんど唯一の可能な手がかりにほかならないというのが、1940年の時点におけるハイデガーの見立てであったものと思われます。
哲学の問いは、どこからやって来るのか?」:「存在論的差異」から「生きることの意味」へ
論点:
哲学の問いとは、思考する存在者であるところの人間が、恣意的に作り上げるものであるに過ぎないのか?それとも、問いが真正なものであるならば、その問いは思考する人間の側からではなく、一つの運命のようにして「向こう側から」到来するものであるのか?
存在者と存在の間の区別は「われわれが気づかなくても、脈々として働いている」というハイデガーの言葉に着目しつつ、もう少し掘り下げて考えてみます。
「存在論的差異」の概念について考える上で決定的に重要なのは、この「差異」は、「差異」を「差異」として見て取る人間が行う区別の働きには、決して還元されることがないという点にほかなりません。存在者と存在とが異なるということ、「あるもの」と「あるということそのもの」は区別されるという論点は、少なくとも第一次的には人間の認識に属するものではないと言えるのではないか。「ある」は、「ある」として思考されることを待っているのであって、究極においては、〈ある〉の方が人間存在を呼び求め、「ある」を言葉にするよう促しているのではないか。この事態をめぐる錯綜については、これから事柄そのもののあり方に即して探ってゆく必要がありそうですが、「存在論的差異」の概念を通して考え続けることによって、思索者としてのハイデガーが、認識する主観に定位することによって探求を進めてゆく近代哲学のあり方とは、根本的に異なる思考のあり方に到達しようと試み続けたことは確かです。この点から考えてみるならば、認識論は、認識論よりも深い審級によって問い返されることによって、はじめておのれ自身の真の意義と価値とを与えられることになるのではないかという見通しを立てることもできるのかもしれません(フッサール現象学の成果を問い直すハイデガー)。
「そこでわたしは、『真理は有限の空間にも無限の空間にもひろがらないから、無であるのではなかろうか』とたずねた。そうすると、あなたははるか彼方から、『わたしは存在するものである』と叫ばれた。」哲学の探求の途上にあった31歳のアウグスティヌスもまた、自分自身でゼロから思考を構築していったというよりも、ある時点において〈ある〉の側からの呼びかけによって目を覚まされ、実存そのものを揺り動かされるようにして、さらなる探求へと駆り立てられていったといえます。哲学の問いは、その問いを問う人間自身の存在を超え出るような「向こう側」からやって来て、閃光あるいは隕石のような衝撃でもってその人間を目覚めさせつつ、問いを問うことへと駆り立てずにはおきません。問う人間は、その時にはもはや「生きることは無意味なのではないか?」「わたしは生まれてくるべきではなかったのではないか?」と自問することすら忘れて、ただひたすらに問いを問うことへと向かってゆくことになるのではないか。哲学する人間にとって、「生きることの意味」をめぐる問題のゆくえは、「わたしはこの問いを問うために生まれてきた」と言えるような問いに出会うことができるかどうかにかかっている。問いが「向こう側」からやって来るとき、その問いは一つの運命のようにして、問う人間を「生きることの根源的な意味」へと呼び覚まさずにはおかないのであって、この決定的な瞬間においてこそ、「哲学者」という未曾有の実存のあり方もまた開かれることになるのではないか。「存在の意味への問い」がそのような問いであるのかどうかは、これからの探求を通して詳細に検討してゆくことにしたいと思いますが、ハイデガーが提出した「存在論的差異」の概念が、決して単なる知的な理解の領域に押しとどめることのできるようなものではないことだけは確かなのではないかと思われます。
おわりに
アリストテレスは、哲学の問いを問い始めた元初の思索者たちについて、「かれらがここまで進んでくると、事態それ自らがかれらに道をひらき、新たな問題の探求にかれらを駆りたてた」との言葉を残しています。哲学の探求が意味のあるものとなるかどうかは、その探求が「事態それ自ら」、すなわち真理それ自体に駆り立てられているかのようなパトスによって突き動かされているかどうか次第であるというのが、アリストテレス自身の信念でもあったであろうことが推察できる表現であるといえますが、私たちとしてはもう少しだけ、「存在論的差異」の概念を掘り下げてみることにしたいと思います。
[この一週間が、平和で穏やかなものであらんことを……!]