三浦綾子展が9月8日から11月4日まで、相田みつを美術館(東京都千代田区、東京国際フォーラム内)第2ホールで開催されている。今年開館20周年を迎える三浦綾子記念文学館(北海道旭川市)と相田みつを美術館の特別交流展だ。「二つの原点──『氷点』と『銃口』」と題し、クリスチャン作家・三浦綾子の小説の世界を紹介している。
在家で禅を学び続けた相田みつをさん(1924~91)と三浦さん(22~99)とは生前交流はなかったが、同じ時代を生きた者として、真摯(しんし)に人生と向き合い、平和を願うなど、その作品には多くの共通点がある。相田みつを美術館を訪れるクリスチャンも多いという。
「父は兄を戦争で亡くし、その悔しさや寂しさは生涯続いていたようです。いくつかの書に兄への気持ちを綴(つづ)ったものもあります。三浦さんの作品にも、『戦争は絶対してはいけない』という強い意志を感じます。三浦さんの特別展示をやっているこの時期、ぜひ多くの人に足を運んでいただければ」と相田一人館長。
展示の冒頭部分には大きく「原罪」と書かれているように、三浦さんは生涯を通して「原罪とゆるし」をテーマに作品に書き続けてきた。
三浦綾子記念文学館の田中綾館長が「いま読み返す、三浦綾子」と題した講演会を15日に行った。開場前から扉の前に列ができ、あっという間に用意された60席は満席になった。
三浦さんが9人きょうだいの次女として旭川で生まれてから小学校6年生までのことを描いた『草のうた』、女学校入学から小学校教師として敗戦を迎えるまでの経験を綴った『石ころのうた』、そして戦後、教師を辞め、肺結核で闘病しながらクリスチャンの恋人と出会ってキリストへと導かれていく姿を赤裸々に描いた『道ありき』、光世さんと結婚し、朝日新聞社の1000万円懸賞小説に『氷点』が入選するまでを綴った『この土の器をも』という「自伝4部作」を取り上げた。
『草のうた』の中には、日本が徐々に戦争に向かっていくさまざまなエピソードがちりばめられている。仮死状態で生まれてきた三浦さんは、「もしかしたら神様は、自分がこの世に出てくるのを望んでいなかったのではないか」と幼心に思っていたという。「そのような経験から、『いかに生きるか』が三浦作品の一貫したテーマであったように思う」と田中館長。
『石ころのうた』では、軍国主義に進む日本と、それに疑問も持たず、「天皇の立派な赤子(せきし)に育てるために教えています」と語っていた自身の姿を正直に回想している。そして、敗戦後の日本は軍国主義から一気に民主主義へと舵(かじ)を切るが、三浦さんはその変貌ぶりに大きな衝撃を受けることになったのだ。
『道ありき』は、それまで当然のように軍国主義教育を行ってきた自分が教師を続けていくことに自信をなくし、7年間の教員生活を辞するところから始まる。その後、三浦さんは肺結核を患って13年間の闘病生活へと入り、それが原因で婚約を解消され、自殺未遂をはかったことなども書かれている。
『この土の器をも』には三浦さんの結婚生活が記されるが、満州からの引き揚げ家族や「戦争未亡人」と呼ばれる人々の存在など、敗戦の影響が長く続いていることも作品に影響している。一方で、三浦さん自身は雑貨店を営み、穏やかな生活を送っていたが、『氷点』執筆後は夫婦ともに疲弊したことなども明かしている。
三浦綾子文学記念館は、開館20周年を祝うさまざまなイベントを用意していたが、今月、北海道を襲った地震の影響により自粛することを決定した。しかしそのような中、文学館の隣に分館を建設し、三浦さんの旧宅から12畳の書斎と床の間を移設展示することになった。三浦さんと光世さんが口述筆記で多くの作品を生み出した当時の書斎が、机や目覚まし時計、家具や照明に至るまで忠実に再現されているという。田中館長は「改めて見ると、とても感動する」と来館を呼びかけた。