Q.賜物を生かして牧師になりたいと思っているのですが、召命があるかどうかよく分かりません。(20代・男性)
召命という言葉は、「神によって人間が呼び出される」という意味です。神は持っておられる目的を召された人に託して成就なさろうとされます。その召命に応答してキリスト者となった者は、各自に与えられた賜物を生かした生き方によって神に召されたということを証しすべきでしょう(ペトロの手紙一2章9節)。
牧師は、この世のさまざまな職務の中で、救霊という特殊な使命を与えられています。その任務は名誉あるものであると同時に大きな責任を伴います。その仕事を遂行するためには、さまざまな困難や戦いを覚悟しなければなりません。パウロは、「私は、闘いを立派に闘い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」(テモテへの手紙二4章7節)と言っています。
私は、精神医療の臨床現場で働いていて牧師やそのご家族が、対人関係や無意識的・意識的感情欲求との葛藤や包括的困難、アイデンティティーの揺らぎ、世俗の価値観などと戦い悩み苦しんでおられる姿をしばしば目にします。
このような方々に対して、教会共同体として、きちんとしたフォロー体制が確立していれば、この質問箱に登場した牧師志願者が持つような危惧は、だいぶ緩和されるのではないでしょうか。
私が、考えた具体的対策としては、牧会者に対する専門的な相談システムの整備、牧師の人格的生長を促す再研修教育の施行、経済的援助、有給の休暇制度の創設、教会組織の見直しなどです。
ところで、召命という考え方には、狭義にとれば、牧師に限定されますが、広義にとれば、世俗の中で従事する職業も、神から受けた使命を成就する場であると言えるでしょう。このような、ある程度「ゆとり」をもった召命観をもつことができれば、質問者も決断を急がず、熟考する時間が持てるのではないかと思います。
ひらやま・まさみ 1938年、東京生まれ。横浜市立大学医学部卒業。東洋英和女学院大学教員を経て、聖学院大学子ども心理学科、同大大学院教授、医療法人財団シロアム会北千住旭クリニック理事長・院長、NPO法人「グリーフ・ケア サポート・プラザ」(自死遺族支援)特別顧問を歴任。精神保健指定医。著書に『精神科医からみた聖書の人間像』(教文館)、共著に『イノチを支える-癒しと救いを求めて』(キリスト新聞社)など。2013年、75歳で逝去。