倉には、まだ種があるか。ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブは、まだ実を結んでいない。しかし、今日この日から、わたしは祝福を与える。
ハガイ書2章19節(参考箇所同書2章14〜19節)
ハガイはバビロン捕囚後の預言者で、経済的貧困と信仰の危機に落ち入っていた民を励まし、神殿復興に寄与しました。
神殿建設にあたり、彼は再建の準備はまだ十分ではないかもしれないが、神の祝福は神殿の基礎が据えられる、その日から与えられると語ります。「倉には、まだ種があるか。ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブは、まだ実を結んでいない」とは、これまでのイスラエルの災いを指し、おそらく飢饉で収穫が少なく(10節)、十分な準備がないことを意味しているものと思われます。
捕囚から帰還直後の民は、自分たちの生活のことで精一杯だったでしょう。その上飢饉まで襲ってきたのです。神殿の再建などは後回しでよいと考えたのも無理からぬことです。しかしハガイは、建設を臆する人々に「勇気を出せ」(4節)と励ますのです。神は祝福を約束される(6節以下)、だから勇気を出して神殿を建設しよう、それがハガイの信仰でした。神の祝福は、神殿の石垣を積み始めた「今日この日から、わたしは祝福を与える」と神御自身の約束の中で実現するもです。
この約束は、今日でも会堂建設を企てるときにも変らずにわたしたちの上にあると信じてよいのではないでしょうか。