7月22日 コヘレトの言葉3章1節

 何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
コヘレトの言葉3章1節(参考箇所同書3章1〜8節)

「コヘレトの言葉」は、人の生きざまの諸局面が時を離れては、何事もあり得ないことを告げ、時をどのように生きるかを教えようとするものです。

人は時を過すことなく生きることはできません。人は生きるにあたって、さまざまな局面に時の相を経験します。しかもその相には長さの時よりも質の時があることをコヘレトの言葉の著者は見ているのです。もしわたしたちが、不安を抱いたままで希望の欠片もないなら、悲嘆に暮れたままで拠り所を失っているなら、また怒りに燃えたぎったままなら、長さの時に身を置いています。

著者は、それぞれの生きる局面にある時の相の質を取り上げ、そこに創造者の意志を見ました。時の中に創造者の意志を見る人は、どのような時を生きているにせよ、すべてにおいて、よしとされることを信じる人です。そのような人は、その時にふさわしい自分として生きることができるでしょう。生まれる時があれば、命の存在に歓喜し、死ぬ時には永遠の国を望み、殺す時なら心から赦(ゆる)しを乞い求め、癒(いや)しの時なら素直に喜び、破壊する時なら大胆に悔い改め、建てる時なら心から感謝をし、泣く時なら悲しむことを受け入れるでしょう。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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