12月22日 ルカ1章38節

あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
ルカ1章38節(参照箇所同書1:26〜38)

マリアは生まれて来る子にイエスと名付けなさいという天使のお告げを聞きます。イエスとは「主は救う」という意味を持っています。特別と思われるイエスの名は、実はユダヤ人の間では、ごく一般的な名前にすぎません。旧約聖書の中ではヨシュアがそれに相当する名です。ヨシュアがヘブル語名で、イエスはギリシア語名なのです。ちなみにキリストというのは、ヘブル語ではメシアで油注がれた者という意味をもっています。旧約では預言者、王、大祭司に任じられるときに油が注がれました。したがってイエス・キリストとは、イエスが救い主であるという意味になるのです。

このことは、決して尋常なことではありません。イエスという名が一般的であったということは、だれでもが知っている、あの太郎って子がメシアだということなのです。イエスが育ったナザレの村では、それこそ大変なことが起こったわけで、あのイエスがメシアだって、父親は大工で、母親はマリアじゃないか、などと言ったと聖書は伝えています(マタイ13章55節)。

しかしながら、イエスがありふれた名を持たれたことは、メシアがその他大勢の中の一人としておいでになるということでもあるのです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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