贖罪論をめぐる現時点での最も包括的な考察
〈評者〉村山盛葦
死と命のメタファ
キリスト教贖罪論とその批判に対する聖書学的応答
浅野淳博著
A5判・360頁・定価2970円・新教出版社
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本書は、日本の代表的な新約聖書学者によって手がけられた、キリスト教贖罪論の「解体新書」である。贖罪論に関する神学書は数多く存在するが、聖書テキストに堅実に基づいた包括的な研究書は、評者が知る限り出版されていない。
全体は、プロローグ「移行性と加虐性」、第1章「苦難の僕と移行性(移行主題か啓発主題か)」、第2章「マカバイ殉教者の記憶」、第3章「イエスと神の国」、第4章「原始教会の伝承」、第5章「パウロの回心とその神学的特徴」、第6章「パウロからその後の初期文献へ」、第7章「2世紀殉教者の証言」、エピローグ「畑を耕す」からなる。補論として「塵芥について(一コリ4・13b):イエスの死を説明するメタファに関する一考察」がある。構成上の特徴として、各章の冒頭に中心課題の明示、各項に要約のボックス、章末に三択問題やショート・エッセイ問題があり、学習用に工夫が施されている。
本書は一貫して「犠牲のメタファ」という概念でユダヤ・キリスト教のテキストを読み解いていく。つまり、犠牲が何を象徴するかである。浅野氏によると、それは「移行主題」(人の違反行為の責任と結果とが他者に移行する)と「啓発主題」(人に悔い改めと誠実さ(義)を啓発する)の二つの側面をもっている。前者は人身御供的な思想であり「責任の転嫁」を促す。そこでは、多数者が個人や少数者を犠牲とし、これに責任を押し付け(スケープ・ゴート的)、人の死や犠牲に満足するという神のサディズム「加虐性」が認められる。それに対して、「啓発主題」は、悔い改めと「責任の自覚」を促す。そこでは、死や犠牲の衝撃によって信仰者の「パラダイム転換」が生じることがポイントとなる。この方向転換によって、その死と犠牲が自分たちの代わり(代理贖罪)ではなく、自分たちのせいで、生じたことを悟る(「パラダイム転換的な悟り」)。つまり、イザヤ書の「苦難の僕」の詩の「わたしたち」のように、「僕が苦しんだのはじつに私たちのためだったので私たちは悔いた」という責任の自覚が促されるのである。
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