4月27日 創世記17章17節

しかし笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるであろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」
創世記17章17節(参考箇所同書17章1〜18章15節)

神はアブラハムに、妻サラに男の子を与えようと言われ、サラは諸国民の母となり、サラから諸国民の王が出ると祝福されます。その神の祝福の言葉を聞いたとき、アブラハムは笑って、百歳の男に子どもが生まれるだろうか、九十歳のサラに子どもが産めるだろうか、と疑うのです。神はアブラハムに「いや、あなたの妻サラは男の子を産む。その子をイサクと名付けなさい」と言われます。イサクとは「彼は笑う」という意味であると聖書はいいます(19節)。アブラハムは神が言われるようなことは、とんでもないことだと心中ひそかに笑うのです。考えて分からないことは、納得できないのです。

しかし神は、アブラハムが「彼は笑う」と名付けたイサクを通して、その子孫のために永遠の契約を結ぶと言われます。事実、そこから救い主が生まれるのです。神は人間の側の条件で御自分の計画を立てたり、変更されることはありません。神の計画は人間の納得や理解を越えるものです。もし人間が分かった上で神の計画を受け入れるとすれば、分かったことだけを信じる、ちっぽけな信仰者になってしまうでしょう。分からないことがあればこそ、スケールの大きい信仰を持つことができます。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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