2016年、日本キリスト教協議会元議長で東京YWCA会員の鈴木伶子さん(故人)は、YWCAのメンバーに向けて戦争をくり返さないための指針を示した。安全保障関連法が前年の国会で強行採択されたことに危機感を強めたからだ。ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受けて軍拡や改憲を求める声が高まりつつある今、改めて当時のメッセージを共有したい。
戦争への痛切な反省
戦後の日本YWCAは、平和のために働く団体といわれてきました。その背景には、心ならずも戦争に巻き込まれてしまったことへの痛切な反省がありました。
日本YWCAは1905年の創立当初から、女性の人権のために活動しました。工場や会社で酷使される女性のために休息や学びの場を提供し、健康や待遇改善のために尽くしたのです。
ところが、戦争が始まると、YWCAのすべての活動が「お国のために」「戦争に勝つために」という国策に丸ごと絡めとられてしまったのです。
しがたって、1945年に敗戦を迎えたことは、会員にとって「解放」でもあったと思われます。平和と民主主義の社会になり、敵性宗教として弾圧されていたキリスト教が認められ、国際交流が憧れを伴って受け入れられたのです。
しかし、その喜びは長くは続きませんでした。敗戦から5年、朝鮮戦争が起きると、日本は米軍の前線基地となり、東西冷戦下に共産圏囲い込みの重要ポイントとして利用されたのです。また、1958年に警察官職務執行法が改正されると、軍事化の再来を懸念したYWCAは、全国的に反対運動を繰り広げました。60年には、日米安全保障条約が延長され、日本の基地が米軍に使用されることに反対して、多くの会員がデモに参加、70年のYWCA中央委員会では、激しい議論の末、安保反対の立場を組織として打ち出しました。
その後、日本は経済大国になると同時に、世界でも有数の軍備を持つ軍事大国になりました。米国との同盟関係を強化し、危険な基地を沖縄に押し付ける形で、安全が声高に叫ばれたのです。それでも、日本の軍隊が他国の人を直接、殺すことも殺されることもなく「戦後70年」が続きました。
しかし、 昨年から戦後70年は終わり、今や戦前の状態だといわれています。昨夏の国会で強行採決された一連の安全保障関連法のためです。
歴史と世界を視野に
10年ほど前、私は『日本YWCA100年史』の編纂に携わりながら、戦時中のYWCAの会員、リーダーたちに思いを馳せ、その苦しみを思い、痛ましさを感じました。今度は、私たちが検証される番です。後世のYWCA会員は、このように日本が戦争に向けて大きく舵を切った2015~16年に、日本のYWCAは、何を考え、何をしたかと問うことでしょう。私たちは先人の残した歴史から学び、後の人たちの視線を意識しながら、立ち位置を決めなくてはなりません。
同時に、私たちは世界を念頭において判断すべきです。かつての残虐な侵略戦争を許し、今後は平和に共に生きようと受け入れてくれたアジア・太平洋の友人たち、「日本は人を殺さず繁栄を築いた」と高く評価してくれているアラブの人たち。難民受け入れに取り組むヨーロッパの人々。その人たちは、日本の方向転換をどう見ているでしょうか。私たちは、目前のことにとらわれてはなりません。今社会で声高に言うわれていることが、真理であるとは限らないのです。歴史と世界を視野に入れながら、進むべき方向をしっかり見極めることが大事です。
イエスに従う
YWCAは、さらに明確な指針を持っています。イエス・キリストの生き方に従うということです。
イエスが生きた時代は、ローマ帝国が、政治・軍事・経済のすべての勢力を握っていました。そのローマ帝国の属国ユダヤでイエスは生まれました。大国の支配の下で、格差が増大し、貧しい人たちは苦しんでいました。正義追及の名の下で、病む人や罪人と言われる人、差別の対象となった人々は、社会で圧殺されていました。こういう現象は、力が社会を覆うときに必ず起こるのです。
その中で、イエスは、病む人を癒し、差別される人の仲間になり、罪人を受け入れました。苦しむ人、悩む人に寄り添い、その人の願いをかなえたのです。その結果、権力者に妬まれましたが、抵抗することなく徹底した非暴力を貫き、十字架という極刑に処せられました。その場にいた誰しもが、イエスの人生を敗北と思ったでしょう。しかし、イエスが息絶えた時、一部始終を見ていたローマの役人が「本当にこの人は神の子であった」と言いました。当時のローマ人が信仰していた輝かしく強い神々ではなく、見る影もない惨めな人。何の悪いこともせず、徹底して人のために生き、最後まで人を赦して死んでいく。これができるのは、神の子でしかありえないという、役人の告白でした。ローマ帝国が廃墟になった今、イエス・キリストの真実さは、世界の人々の心に響いています。
敵を愛しなさい
イエスは「あなたの敵を愛しなさい」と教えられました。ドイツの哲学者、カール・フリードリヒ・フォン・ヴァイツゼッカーは、これを次のように解説しています。「敵を愛すとは、敵を理解するように努めること、それは、彼の状況に身を置き、彼の立場から世界を見、彼の関心や希望、彼の不安や傷ついた心を知るように努力することである」
敵の存在を考えると、その恐れは際限もなく拡大されます。「仮想敵」は、その良い例です。中国が尖閣列島を武力で占有するのではないか、北朝鮮がミサイルで攻撃してくるのではないか。すると、恐怖に駆られて、軍備を増強しよう、米国との同盟関係を強めよう、そのためには米国の戦争に味方し、一緒に戦おうということになるのです。
「敵を愛せ」といわれても、急に敵を好きになることはできません。しかし、理性を働かせて、敵とする相手の身になり、敵がどう感じているか、何を望んでいるかなど、冷静に考えることはできます。すると、不思議なことに、敵とのつきあい方がわかり、敵は存在しなくなるのです。さらに、ヴァイツゼッカーは、「これは国際政治の指針ともなるものだ」と言います。中国がなぜ南シナ海に進出したがるのか、北朝鮮がミサイルを発射するのはどういう時なのか、その国の立場から冷静に考えれば、外交交渉の道が開けます。
共に祈り求める
「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい」(ペトロの手紙一3章9節)と告げる言葉は、「敵を愛せ」を、日常的・具体的に示しています。この言葉は、11節の「平和を願って、これを追い求めよ」という命令に続きます。地味な印象を与える言葉ですが、しばしば相手に愛想をつかせたり、時には怒りを感じたりする私たちには、有益な指針です。平和に向かって進む私たちを支えるのは、祈りです。
ノーベル賞作家の大江健三郎さんは「宗教を持つ人も持たない人も、あらゆる人に〝祈り〟というものはある。今の時代に一番必要なものは〝祈り〟だ」と書いています。そして「祈りのやり方を知っている人が中心に立って祈ってほしい、そうしたら無宗教の自分も、祈りを合わせたい」と、謙虚に述べています。その祈りの内容は、「私たちの後にも世界が続くようにと」ということです。歴史を見ると、帝国といわれた巨大な国もすべて滅びていきました。核を手にした今の時代、それは一つの国が亡びるにとどまらず、人類全体の滅亡につながりかねないものです。死と滅びの道ではなく、命と祝福の道を選ぶためにも、平和を追い求める働きを続けるYWCAでありたいと思います。
東京YWCA会員 鈴木伶子
*鈴木さんは2021年8月に逝去しました
出典:公益財団法人日本YWCA機関紙『YWCA』2016年8月号より転載
YWCAは、キリスト教を基盤に、世界中の女性が言語や文化の壁を越えて力を合わせ、女性の社会参画を進め、人権や健康や環境が守られる平和な世界を実現する国際NGOです。