先日、朝日新聞の「声」欄で、13歳の女子中学生の「死を思うことは 恐ろしいけれど」(2022年2月7日付)という投書を見た。「死んだら、どうなるんだろう。私はよく、そんなことを考える。天国や地獄という死後の世界が本当にあって、そこで存在し続けることができるのなら、そう願いたい。けれども、死によって私の意識も、心も、何もかもが永遠に消え失せてしまうとしたら……」と人生に対する不安を綴っていた。
後日、この女子生徒の声に反響があり、「死をめぐる思索に触れてみて」(50歳男性)とか、「あなたが輝く生き方見つけてね」(73歳女性)などと、人生の先輩の熱い励ましの声が掲載されていた。おそらく誰もが、多感な青春時代に同様の経験をしただろう。死の問題は、古今東西、ある意味で永遠の課題であるが、その問いかけの過程で哲学や宗教が生まれた。この中学生の率直な不安は、自身の何か大きな病気や苦難との出合いから生じたのかどうかは不明だが、多分この時期に抱く観念的な不安かもしれない。
私はハンセン病療養所を訪問して38年になる。その間多くの入所者の苦渋の体験をうかがったが、宮城県の東北新生園の入所者Sさんのことを思い出している。Sさんはハンセン病を患ったことで、とても深い悩みの中におられたが、ある日、星野富弘さんの詩画集『鈴の鳴る道』の詩を読んで励まされたという。「何のために/生きているのだろう/何を喜びとしたら/よいのだろう/これからどうなるのだろう/その時 私の横に/あなたが一枝の花を/置いてくれた/力をぬいて/重みのままに咲いている/美しい花だった」
Sさんは、「詩の前半の言葉が自分の姿だった。最後の3行に心を打たれた。『力をぬいて、重みのままに咲いている花』。自然のままに、あるがままに生きるという意味の言葉が心の中に響いている」、と涙を流しながら語られた。その後、Sさんは84歳で天国に旅立たれた。
13歳の女子中学生の死への不安を、年齢的に対極にいる私に重ねてみた。またハンセン病回復者のSさんの涙を思い出しつつ、この八十路の坂を登る私の人生を考えさせられた。この時期に、この年齢で、私といういのちのあるがままを生きることの意味を考えている。生死についてキリスト教の答えは一つ、「人間の生死は、神のみ手に中に治められている」ということだと思う。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」(伝道の書3章11節=口語訳)
かわさき・まさあき 1937年兵庫県生まれ。関西学院大学神学部卒業、同大学院修士課程修了。日本基督教団芦屋山手教会、姫路五軒邸教会牧師、西脇みぎわ教会牧師代務者、関西学院中学部宗教主事、聖和大学非常勤講師、学校法人武庫川幼稚園園長、芦屋市人権教育推進協議会役員を歴任。現在、公益社団法人「好善社」理事、「塔和子の会」代表、国立ハンセン病療養所内の単立秋津教会協力牧師。編著書に『旧約聖書を読もう』『いい人生、いい出会い』『ステッキな人生』(日本キリスト教団出版局)、『かかわらなければ路傍の人~塔和子の詩の世界』『人生の並木道~ハンセン病療養所の手紙』、塔和子詩選集『希望よあなたに』(編集工房ノア)など。