今日8月17日は山北多喜彦(やまきた・たきひこ)の召天日。輪唱曲として有名な「静かな湖畔の森の陰(かげ)から」を作詞した日本基督教団・三崎町教会牧師(1938~68年在任)です。日本基督教団総会書記をはじめ、同教団の諸委員長、AVACO、NCCなどにも広く関わり、『讃美歌第二編』25番「うたごえ高らかに」や191番「主のまことはくしきかな」の訳詞も担当しました。山北宣久(のぶひさ)・前青山学院院長の父親です。
1925年、慶應義塾大学予科に入学早々、友人に誘われて中央バプテスト教会(現・日本基督教団・三崎町教会)で受洗。同大法学部を卒業後、関東学院神学部で学び、関東学院中学部の教師になります。
1932年、野尻湖のいちばん奥まった湖畔に、東京YMCAが青少年のためのキャンプ場を設けました。その3年後の35年夏、山北(当時27歳)がリーダーとしてやって来ます。5週間のキャンプ中、東京にいる婚約者に書き送った手紙の1通(8月10日消印)にこんなことを書きました。
「郭公(かっこう)がしきりにないてゐます。こんな詞がうかんできました。『静かな湖畔の森の蔭から もうおきちゃいかがと郭公が呼ぶ。カッコー、カッコー、カッコ カッコ カッコ』これにいい曲をはめてみませう」
山北は68年、三崎町教会で説教と聖餐式を行った直後に入院し、間もなく60歳で亡くなります。遺書にはこう書かれていました。「告別式は簡略に。バッハのカンタータ『イエスはわが喜び』。わたしのことをいわず、主だけが語られ、信仰を私に与えて下さった主の恵みだけを伝えて下さい。ではまた、多喜彦」(山北宣久『きょうは何の日?』教文館)
それから14年後、遺品を整理していた夫人が、前述の手紙を見つけました。それまで作詞者不詳とされてきましたが、「朝日新聞」(1982年8月11日付)が「湖畔のカッコー 身元はっきり 作詞者は山北多喜彦さん」と報じました。