イエスとは誰か
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。 マタイ10章37節(参考聖書箇所同書10章34〜39節)
キリスト教は親不孝を教える宗教であると明治期の日本社会から批判の根拠にされた聖書箇所でもあります。多くの人に、あなたにとってもっとも信頼でき頼りになるものはなんですか、と聞くと大抵の人は家族ですと答えるものです。肉親の絆というものは、利害関係を越えて信頼や愛の関係で結ばれていますから、他のいかなるものにも優って信頼できる支えです。 しかしながら、どんなに大切な支えであっても所詮は地上の世界に属するものです。地上のものであるとは、相対的であり、有限であるということです。イエスは、究極の支えは、地上のものにはないと言っているのです。地上のものでなく、永遠であり、絶対である究極の存在に心を寄せなさいという意味であります。ルターは、「神以外のものに心を寄せるなら、自分自身も含めてすべて偶像礼拝になる」と言います。地上のものは、どれほど信頼に価するように見えても、結局は最後のとりでにはならないのです。 このことがもっとも切実なこととなるのは、死の時であります。この地上のことに、きっぱりと訣別を告げるためには、死を越えた向こう側に究極の存在を信じていなければなりません。