祈り)天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
「今日は思い通りになった」と思う日はあまりありません。「今日も自分が思っている通りにはいかなかった」と物足りなく感じてしまうこともたくさんあるでしょう。
しかし、神様あなたは「十分によくやったよ。ありがとう。」と私たち一人一人の働きや存在に愛情を注いでくださいます。自分も自分以外の方も、同じ重さで神様は大切にして下さいます。私も神様、あなたに愛され大切にされていることを思い起こし、勇気をもってありのままを生きられますように。
これから語られますみことば、この語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン
つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。(2コリント5:19)
「2コリント5:16-21」において、キリストによって私たちは神様と和解させていただき、神様によって義とされた、と語られています。「和解」?「義とされる」?そんなこと私は望んでいないし、どうでもいいじゃん、と思われる方も少なくないと思います。
「神様との和解」とは神様と仲良くなることです。「神様に義とされる」とは神様にそのままの存在でいいと受け入れていただくことです。
私たち人間一人一人は神様に造られています。神様と仲良くない人も、神様にそのままの存在でいいと言われていない人も一人もいません。ではなぜイエス・キリストを通さないといけないのでしょうか?
ずっと神様から人間への片思いでした。イエス様の生き方や神様への信頼の仕方を感じることによって、私たちは神様に造られていることを思い起こすのです。「神様との和解」も 「神様に義とされる」ことも今から始まるわけではなく、イエス様の生き方や教えを通して、もうすでに私たち一人一人に与えられていることを思い起こすことができるのです。
神様に愛され大切にされていない人はいません。自分自身がどんなにちっぽけに思えても等身大のあなたすべてが神様に愛され大切にされています。
神様はいつもあなたに言われています「そのままでいい」と。