そうじゃない。私が欲しいのはそれじゃない。【聖書からよもやま話16】

飴玉
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皆様いかがお過ごしでしょうか。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、ミカ書6章です。それではよろしくどうぞ。


◆ミカ書 6章7節

主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。私の背きのために、私の長子を、私のたましいの罪のために、胎の実を献げるべきだろうか。

この箇所では神様とイスラエルの民が対話をしています。そしてこの7節ではイスラエルの民が「神様、あなたは何千匹の羊や、何万リットルもの油や、子ども達をも、私たちに献げろというのですか。これだけのものを献げても、まだあなたは不満なのですか?」と神様に文句を言っています。

しかし、次の8節で神様はこんな風に答えます。


主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか。主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。


つまり神様は「大事なのは献げものとかじゃないんだよ!正しく誠実に生きて、私と一緒に歩んでくれればそれでいいんだよ!」と言っているんです。

人はつい神様に対して「私はこれだけ神様に祈って、毎週礼拝にも欠かさず通って、これだけ献金もして、頑張っているのに、神様はそれに応えてくれない!」と不満をもってしまいがちなものです。神様に対してでなく、人に対しても「私はあなたのためにこんなに色々してあげたのに、あなたは応えてくれない!」と不満をもったりもしてしまいます。

人って、まじめな人であればあるほど、優しい人であればあるほど、他の人に対して「これもしてあげよう、あれもしてあげなきゃ!」となりがちですが、実際に相手が求めているのはもっとずっと簡単なことだったりもします。お腹が空いたという人に「豪華な食事を作ってあげよう!」と思ったら、実際に相手が求めているのは飴玉一つだったりするかもしれません。

もちろん、神様が求めているものは「公正と誠実と謙遜」ですから、けっして飴玉ほど簡単なものではありません。でも、人に対して「何が本当にあなたに必要ですか?」と聞くのが大切なように、神様に対しても「本当に必要なことは何ですか?」と絶えず祈り、問い続けることも大切なのだと思います。

ちゃんと相手の言っていることに耳を傾けて、ミスコミュニケーションが起こらないようにしなければいけませんね。人に対しても神様に対しても。そうじゃないとせっかく相手のことを思ってしたことも「ありがた迷惑」とか「余計なお世話」になってしまいますものね。


それではまた。
主にありて。MAROでした。


横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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