時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。(マルコによる福音書1章15節)
主イエスは、貧しい人や病人の多い辺境の地ガリラヤを活動の地と定め、福音の宣教を開始した。今日の聖句は、主イエスが宣べ伝えた宣教の内容を端的に要約している。
神が罪の世界を終わらせ、王として支配される「神の国」は、主イエスの到来によって近づいた。主ご自身が福音を宣ベ伝え、活動しておられる此処に、神の国は来ている。「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう」(黙示録3・20)。
主イエスの言葉を聞いて、戸を開けさえすればよいのである。「時は満ちた」。今が、神に立ち返り、神の支配の中に生きる好機である。決定的な救いの時が来たのである。「悔い改める」とは、方向転換をすることである。まともな人間になって、神に立ち返れというのではない。主イエスは罪人に代わって十字架にかかり、罪の裁きを引き受けて死んでくださった。「今のまま、罪のあるまま、わたしのもとに来なさい」と主は招いておられる。
「福音を信じよ」を文字通り訳せば、「福音の中に信じよ」である。イエス・キリストを通して現れた神の愛の中に、身を置いて生きよ、信頼して生きよ、という招きである。そうすれば、「終わりの日」に成就される神の国に生きるだけでなく、今この世において、神に守られ、導かれて生きる。人間は弱い、孤独な存在である。何が起こっても大丈夫というものを持っていない。しかし、信じる者には、イエス・キリストが共にいて、その人生を担い、守り、導いてくださる。だから、苦難に直面しても、勇気を出して生きるのである。