「チャプレン、今晩ひとりのお母さんが出産をします。胎児には先天的な病があり、死産の可能性が大きいです。何日いのちが持つか分からない状況です。すぐに洗礼式をしてください!」
重大な依頼を受け、この夜私は病院の宿直室で夜を明かしていた。不安で眠れない。天国の約束、そして罪の赦(ゆる)しの洗礼はキリスト教の中の最も大切な儀式。だが、それは死者のためには行われない。私は自分が人生をささげている宗教の教理を曲げられるか? いや、教理を曲げるのが怖いのではなく、それを知った時に後からいろいろと批判を浴びせられるのが怖いのではないか? そんなさ中にポケベルが鳴った。夜中の病院、洗礼用水を携え、急いで母子病棟に走っていく。そして、重苦しい気持ちで扉の前に立つ。すでに息を引き取っている赤子、そして極限の悲しみの中にいる母と父がそこにいるのだ。そこで、洗礼だとか永遠のいのちだとか、宗教儀式やことばが慰めになるのか?
だが、扉を開けるとそこには小さな微笑みがあった。赤子は生きているのだ! 母親の腕の中で、そしてその2人を抱きしめる父親。そして新しい家族をおじいちゃん、おばあちゃんが見守っている。なぜかプロのカメラマンもいて、シャッターをきっている。「チャプレン、この子の名前はクリストファーです。洗礼をお願いいたします。ドクターによると、数時間しか生きられないとのことです……。コロナ禍の中で立ち入りはできませんが、特別に許可をもらい、私の両親もこの子に会いにくることができました。時間がありません。洗礼をお願いいたします」
私は大きな声で祈った。「神よ、今日この日に、この新しい家族の真ん中に大切な子どもクリストファーを与えてくださったことを感謝いたします。けれども神よ! クリストファーは重篤な病のためにもう長く生きることができません! 神よ! けれどもあなたがいのちを創ったのであれば、死もあなたが創ったもの。生も死もすべてあなたのもの、そして生と死をはるかに超えた大きないのちの力でクリストファーをお守りください! 私はこの永遠のいのちの証、洗礼をクリストファーに施します。父と子と聖霊の名前によって。アーメン」
小さなクリストファーの額に、私は水滴を3回つけて洗礼を施した。家族全員が泣いている。私も泣いている。でも、皆が少しだけ微笑んでいた。そして、私の心を支配していた恐怖や不安は、不思議と消えていた。「安心してください。クリストファーは永遠の命の祝福を受けた子です。あとは家族の大切な時間です。私は戻ります」。そう伝えて、部屋を出た。
クリストファーはその1時間後に息を引き取った。2時間だけの人生、でも両親は彼に名前を付け、おじいちゃんとおばあちゃんは一生分の言葉をかけ、家族写真も撮った。洗礼も受けた。すべてが120分の中で起きた。
人生百年時代? 死者は洗礼を受けられない? 既存の宗教、人の言葉が紡いだ命のガイダンスだけでは、目の前の命の説明などできるはずがない。100年の人生であろうと、2時間の人生であろうと、たとえゼロ秒の人生だろうと、それは神が創ったもの。だとしたらそれを全力で悲しみながら、そしてそれでも小さくても微笑める瞬間を全力で探していく。絶対に探していく。どんな暗闇と絶望と矛盾の中でも、見つかるまで一緒に探していく。それがチャプレン、病院聖職者の仕事だと私は信じている。(終)
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アメリカ KARA11 NEWS 関野牧師取材
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