新年おめでとうございます。
2021年を迎え、この元旦の日ほど、コロナ感染拡大の中で複雑な思いでその朝を迎えた方も少なくはないと思います。皆さまの上にご健康と、並びに神様の恵み、祝福をお祈りします。
時は流れるモノ。止まってはくれません。そして私たちは、常に現在の瞬間に生きているのが時間というものです。新年の初めにこの「時」について考えてはみませんか。
新約聖書の中には「時」という言葉が三つのタイプで記されております。「クロノス」、「カイロス」「アイオーン」というギリシャ語です。日本語で訳すと「時間」、「特別な時」、「期間」の意味ですが、クロノスは時間を食べる怪物を象徴していて、「今朝、朝六時に起きた」という過去へと忘れられる「時」、カイロスはそのひとにとって「彼女・彼に最初に出会った」という特別な「時」、アイオーンは「学生時代は楽しかった」という人生の一区間を指す「時」と考えて良いでしょう。
時の単位は地球の自転と公転の長さを区分して定められていますが、天文学では太陽系の生成は46億年前、そして宇宙の生成は138億年前ということですから、私たちの人類が生存している期間は、本当に砂粒のような短いものだと気づかされるでしょう。
ただ、過去の時の計算は、現代人が物理学で私たちが用いる基準で計算した数値であり、それを意識の中で換算したものですから、その長さを私たちは体験もできないし、存在しえない時であることも忘れないようにしましょう。ただ体験し存在し得る時とは、その人が生まれてから死ぬまでの期間ですね。
聖書には「愛する人たち、この一時を忘れてはなりません。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです」(ペテロⅡ3:8)という言葉があります。過去は意識の中に積み重なりながら、私たちは一度限りの自分の人生を送っていますが、その寿命の長さはまちまちです。そうするとひとりひとりに与えられた人生の未来の「時」も、今の時が続くまでですから、いかに、今日の日をどう過ごすかが大切であるかが判るでしょう。
旧約聖書の中に「コヘレトの言葉」という書があります。3章1節には「天の下では、すべてに時機があり、すべての出来事に時がある・・・・裂くに時があり、縫うときがある(バイデン氏が新大統領に選ばれた時の演説の中にある)」。時の流れる中で、過去の想い出は意識の中で積り、未来は様々な出来事が待っているということです。しかし11節には「神はすべてを時に適って麗しく造り、永遠を人の心に与えた。だが、神の行った業を人は初めから終わりまで見極めることができない」と書かれていることに注目してください。
すべての出来事は意識の中で積もるモノであるけれど、「神は永遠を人の心に与えた」というのです。時とは、クロノスのように忘れ去るような無駄に過ごす時ではなく、一日一日を永遠の特別な時として過ごすことができるならば、これ以上の至福な時はないでしょう。ダビテという王は次のように語りました。
「あなた(神)の庭で過ごす一日は、私が選んだ千日にもまさる。神の家の戸口に立つことは 悪の天幕に住まうにもまさる」(詩篇84:11)
聖書は約四千年前からキリスト出現の二千年前にわたる神の言葉が積もり積もった大集成です。皆さんの人生の中に時間を超越して、語り教える言葉があるとしたら、是非、その聖書を読んでみませんか。そうです。「時」とは流れるモノではなく、永遠に向かって「積み重ねる」モノであることを知って頂けるならば、2021年は素晴らしい人生の特別な時となるかもしれません。
渡部信(クリスチャンプレス顧問・常盤台バプテスト教会牧師・NCC議長)