キリシタンなのに仏門に入るとはこれいかに!? 〜黒田官兵衛の謎〜 

おはようございます。
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◆1546年12月22日(天文15年11月29日) 黒田孝高の誕生日

黒田孝高は別名黒田如水、または黒田官兵衛として知られる、豊臣秀吉に仕えた戦国時代の名参謀です。キリシタン大名でもあり、洗礼名はドン・シメオンと言いました。通称は「官兵衛」でしたし、大河ドラマ「軍師官兵衛」などもあったので「官兵衛」という名が一番広く知れ渡っているかと思います。一方で如水というのは仏門に入った時につけた号です。キリシタンなのに仏門に出家とは?ちょっと謎ですよね。

これには様々な説があるのですが、一説には宣教師や西洋文明を味方につけるために形だけキリシタンになったとも言われています。しかし、彼の葬儀はキリスト教式で行われていますし、遺言で宣教師や教会に多額の遺贈をしたりもしていますから、その説では説明が苦しいところも多々あります。むしろ仏門に入ったことの方が形式的であったと考える方が筋の通りやすい点もあります。

当時、特に武士が仏門に入るということは、必ずしも純粋に宗教家になるということを意味せず、「私は武士の出世レースからは引退しましたよ」という意思表示だったりもしたのです。豊臣秀吉に冷遇されて身の危険を感じた官兵衛さんが、形式だけでも出家して「私はもう権力には関わりません」という姿勢をとったというのは納得できる話です。まぁ、出家してから「やっぱり現役復帰!」と暴れだす人も少なくありませんでしたし、官兵衛もそのタイプでしたけれど。

また、秀吉は官兵衛の才能を恐れて冷遇した、という説もありますが、最近の研究ではもっと単純に、秀吉は「キリシタンだから」官兵衛を冷遇した、という方が主流の説になっています。そんな秀吉の攻撃を避けるためにも形式上の出家は意味のあることだったと考えられます。

謎の多い人なので、推測しかできないことも多いですけどね。同じ時代を生きた武士たちでさえ、「官兵衛は頭が良すぎて何を考えているかわからん」と感じていたようですし。

クリスチャンであっても弾圧されたり冷遇されたりしない令和の世はありがたい時代です。信仰を持つことだけで命がけ、そんな時代もあったんです。そして今でも命をかけなければ信仰を守れない、そんな地で生きる人たちもいるんです。
それではまた明日。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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