11月13日「感謝の祈りを唱えて」

イエスは、パンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。(ヨハネによる福音書6章11節)

今日の聖句は、主イエスがパン5つと魚2匹で五千人を養われた時の振る舞いである。主イエスは 「最後の晩餐」においても同じように振る舞い、裂いたパンは十字架で裂かれるご自分の体であると言った。五千人を養ったパンの奇跡は主の深い憐(あわ)れみから起こされた出来事であるが、その憐れみは十字架の死において極まったのである。パンを裂く主イエスの振る舞いは、十字架の上でご自分の体を裂く主の姿を示している。罪のために神との関係を失い、霊の飢えによって死にかかっている人間を、主イエスは深く憐れんで、ご自分の体を霊のパンとして裂いて与えてくださる。十字架の上で裂かれた主イエスの体は、人の魂を生かす永遠の命のパンである。

死んで復活された主イエスは、今も「主の晩餐」において、十字架で裂かれたご自分の体を示して、「わたしが命のパンである」(48節)、「このパンを食べる者 は永遠に生きる」(58節)と繰り返し私たちを招かれる。 私たちはパンを食べ、杯を飲むごとに、私たちの罪を贖(あがな)うために体を裂かれた主の苦しみを思い、神に罪を赦(ゆる)されて生きる永遠の命の恵みを感謝する。そして、一つのパンを裂いて共に食する私たちの集まりは、 主イエスに結ばれた一つの体であることを言い表わす。

また、 主の晩餐式において、私たちは主イエスが再び来られる日を待ち望む。その日は闇に覆われた世界が終わり、天と地が完全に新しくなる日、神の支配が成就する日である。主イエスは私たちに救いの恵みと神の御国(みくに)への途上にある希望を確信させるために、「主の晩餐」を制定された。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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