9月2日「わたしの言葉は決して滅びない」

天地は滅びるがわたしの言葉は決して滅びない。(ルカによる福音21章33節)

「天地は滅びる」と主イエスは語った。神が創造した被造物は、天も地も、すべて初めと終わりがある。歴史は創造から終末に向っているのであって、円環をめぐるように同じことを繰り返しているのではない。私たちの一生もそうである。だから、繰り返すごとのできない一日一日が大切である。今日、地球の温暖化が深刻である。主イエスはそのことを推論して、地球滅亡の危機を語ったのではない。神の創造には目的があり、終わりの日に、神は目的に即して総決算をされる。新しいことを始めるためである。神の計画は天地を滅ぼすことではなく、御心(みこころ)にかなう世界を創造することである。

人間の命も有限である。その限られた命を、私たちがどのように生きるかが大切である。死に臨んで一生を終える時、神は私たちの人生を総決算される。私たちは皆、神との関係を問われる。その時、だれが神の裁きに耐え得るだろうか。しかし、感謝すべきかな、神は御子(みこ)を世に与えてくださった。それは「世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3・17)。

「わたしの言葉は滅びない」という今日の聖句は、神の裁きに耐え得ない者を救う主イエスの言葉である。主の言葉を聞いて、信じる者は最後に救われる。その死は天の国への旅立ちとなる。死の眠りから目覚めたならば、主とお会いする朝を迎える。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」(黙示録21・4)。主イエスは私たちがこの世の生活だけに縛られず、終わりの日に備えるよう「目を覚まして祈りなさい」(36節)と言う。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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