行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。(ルカによる福音書7章22節)
バプテスマのヨハネは主イエスを指して、神がその到来を約束していたメシアであると語った。そして、「その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる。そして、手に箕(み)を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」(3・16〜17)と語った。しかし、ヨハネの期待に反して、主イエスはいつまで経っても、悪しき人間を裁き、歪んだ社会を変革して、神の国(支配)を実現することをしない。ヨハネは獄に捕らえられ、依然としてヘロデは権力を振るっている。ヨハネはあせった。ヨハネは弟子たちを主イエスのもとに遣わして、「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(20節)と尋ねさせた。その時、主イエスは今日の聖句を語り、「わたしにつまずかない人は幸いである」(23節)と言った。
主イエスによって到来した神の国は、神の裁きによる大々的な破局や変革ではなく、多くの人に隠された方法で現れた。それは、貧しい人たちや小さくされた人たちが、主イエスの福音によって神の愛と恵みの光を浴び、暗い世にあっても、神を信じ、希望を抱いて生きる者となる国である。貧しい人や小さくされた人を顧み、御許(みもと)に招き、共にいてくださる神の国が、主イエスによって始まった。それは私たちの目には小さくて、ヨハネのように見過ごしてしまいそうであるが、私たちが貧しくされ、小さくされる時にそれを見いだす。