求めなさい。そうすれば、与えられる。(マタイ7:7)
人は苦しい時に神に祈る。「苦しい時の神頼み」であっても、神は拒(こば)まれないであろう。神は「苦難の日には、私に呼びかけよ。私はあなたを助け出し、あなたは私を崇(あが)めるであろう」(詩編50:15)と言われる。神はご自分に拠り頼む者を喜んで助けられる。
主イエスは私たちに「求め続けよ」「探し続けよ」「叩(たた)き続けよ」と言って、失望せずに祈ることを教えた。そして、「そうすれば、与えられる」「そうすれば、見つかる」「そうすれば、開かれる」と言われた。祈りは必ず神に聞き届けられ、しかも「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」(11節)と言われる。求めたとおりではなくても、天の父は私たちのためにいちばん良いものをもって応えてくださる。
主イエスは、真夜中に友人のところに行き、「パンを分けてほしい」と執拗(しつよう)に頼んだ人のたとえを語って(ルカ11:5~8)、真剣に祈り求めるべきことを教えた。たとえの中で執拗に願い続けた理由は、自分のところに来た友人に何も出すものがなかったからである。貧しかったからである。「今飢えている人々は、幸いである」(ルカ6:21)と主イエスが言うのは、貧しくて飢えていることが幸いなのでなく、飢えのために神に祈り、神に拠り頼むから幸いなのである。私たちは自分の貧しさを覚えて、執拗に祈らなければならない。助けを求める兄弟に何も出すものがない自分の愛の貧しさを覚えて、愛を求めて祈らなければならない。「愛する人たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から生まれ、神を知っているからです」(Iヨハネ4:7)。祈る者は、愛は神から生まれることを知る。