「神様は、理解されない悲しみの傍(かたわ)らにいる」聖学院大で左近豊さん講演

左近豊(さこん・とむ)さん(日本基督教団・美竹教会牧師、青山学院大学教授)を講師に、第2回スピリチュアルケア研究講演会(主催:聖学院大学総合研究所)が1日、同大ヴェリタス館(埼玉県上尾市)で開催され、約80人が集まった。

左近さんは1968年、東京神学大学学長だった左近淑(きよし)を父親として東京に生まれる。祖父の左近義慈(よししげ)も、曾祖父の左近義弼(よしすけ)も聖書学者。東京神学大学大学院修士課程を修了し、日本基督教団・横浜指路教会副牧師をした後、コロンビア神学大学院修士課程(Th. M)とプリンストン神学大学院博士課程を修了(Ph. D.、旧約聖書学)。聖学院大学人間福祉学部人間福祉学科准教授・チャプレンを経て現職。著書は『エレミヤ書を読もう──悲嘆からいのちへ』(日本キリスト教団出版局)など多数。

まず左近さんは、Kさんという教会員のことから話し始めた。

「Kさんは最愛の夫を亡くした後、通っていた教会で、『頑張らなくていい。泣いていいのよ』という一見慰めに思える言葉をかけられ、かえって魂に深い傷を負ってしまいました。本人の悲嘆をまるで分かっていない一方的な言葉と感じたからです。その後しばらくして私たちの教会に転入会され、昨年11月に亡くなりました。

Kさんとのおつきあいは3年半でしたが、いつも聖書の言葉に真剣に向き合い、亡くなる直前まで聖書の言葉と格闘し、まさに聖書の言葉に包まれるようにして去っていかれました」

その聖書の中で「民の苦悩を負って痛む母」として捉えられているのが、ベニヤミンを出産した直後に死んだヤコブの妻ラケル(創世記35:16以下)だと左近さんは言う。

たとえば、「ラマで声が聞こえる、苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む、息子たちはもういないのだから」(エレミヤ31:15)との旧約の言葉は、バビロン捕囚期、民衆の滅びへの悲嘆をラケルの嘆きに重ねたものだ。また新約にも、幼子イエスを殺そうとしたヘロデによりベツレヘム周辺の子どもが虐殺された時に引用される。「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから」(マタイ2:18)と。

「そこに『慰めを拒む』ほどの嘆きとありますが、これはまさにKさんの悲嘆にも通じるでしょう。失われた者の痛みは本人にしか分からないことを聖書は知っています。Kさんは、自分にもラケルが寄り添い、神に向かって一緒にその嘆きを訴えてくれたことに慰められながら逝(い)ったのです」

左近さんの話に熱心に耳を傾ける来場者

左近さんの話に熱心に耳を傾ける来場者

続けて左近さんは哀歌を取り上げた。

「苦悩を体系的に説明することや理解されることさえもあえて拒む哀歌は、支離滅裂で断片的な呻(うめ)きと叫びから発し、次第に明瞭な嘆きの語りに変わっていきます。哀歌を読む共同体は、これを読みながらイマジネーションが揺さぶられつつ、未曾有(みぞう)の崩壊体験の中に、失われた言葉を回復してゆくことになるです。悲しみを理解した気になっている人たちの思いに抗(あらが)う言葉が絞(しぼ)り出され、苦しみの中にある人はそれらを身につけて、霊的な危機を生き延びるのです。

痛みはなかなか言葉で表せないために、孤立化へと向かわせられがちです。しかし、この痛みの経験が人をつなげて共同体性を形作ることもあります。本当の痛みを知っている者は、簡単に共感されないことをよく知っています。だからこそ、他者の悲しみに敏感になり、人には分からない悲しみを重んじることで真の共感が形成されるのではないでしょうか」

このように理解されにくい悲しみを重んじる応答が、たとえばヨブ記においてなされていると左近さんは語る。苦悩が刻まれた深刻な嘆きから発せられる問いに対して、聖書は即答するのではなく、むしろまったく違う方向から、応答とは言えないような反応を示している。そしてそれが、嘆く者にとっての慰めとなっているのだ。

「ヨブは身に覚えのない苦しみを背負わされて、神に食らいつくようにして問い続けますが、神様は最後の瞬間までヨブの問いにはお応えにはなりません。そして、最後に発せられる神様の言葉も、ヨブの問いにまっすぐ応答するものではありません。それでもヨブはその回答に満足します。神様との新しい関係を見いだし、神様が生きて、そこにおられることが分かっただけで十分だと感謝するのです。哀歌にも神様の応えはありません。しかし、イザヤ書(40章以下)に見られるように、生きて臨まれる神の応答から、神様が悲しみの傍らにいてくださることを知るのです。

聖書の共同体は、このような哀歌とイザヤ書を読む民であり、ラケルの嘆きに居場所を確保する共同体であり、苦しみと喜びを、祈りをもって仲保するあり方を提示する者といえます。社会にあって、痛みや苦しみに悩む者に共同体的居場所を作り出すスピリチュアルケアの大切な働きを覚えつつ、講演を終えたいと思います」

 






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