新しい任地として私に指示された神奈川県横浜市本牧。第二次世界大戦後にアメリカに接収されていた土地として有名ですが、無知な私はそんなことも知りませんでした。
「大都会横浜? 『地方からの挑戦』じゃないから終了!」――まあそうなのですが、本牧とは横浜の中でも特殊な地域で、港や貨物駅があっても、人が乗り降りできる駅はありません。移動は車かバスのみです。バブルのころに大規模な開発が行われ、異国情緒ただよう観光スポットとして賑わいを見せていたようですが、今はだいぶ落ち着きを見せています。船の汽笛が響き、石油コンビナートから油のにおいが海風に乗って匂ってくる、さしずめ「都会の中に位置する地方」といった様相です。
赴任初年度は教会から謝儀が出なく、住居もないことが聞かされていました。地方の牧師はアルバイトしてなんぼかもしれませんが、むしろフルタイムで働いて稼がなくてはなりません。齢(よわい)45の春、私は初めての土地で求職活動をしなければなりませんでした。
幸いにも横浜は日本のプロテスタント発祥の地、キリスト教主義学校がたくさんあります。こんなこともあろうかと神学校で宗教科の教員免許も取っておいたし、どこかで雇ってもらえないかと期待していました。
そのような中、あるキリスト教主義学校の宗教センターの職員に応募しました。求人票に載っている内容はクリアしているし、何よりも聖書や教会に理解ある「牧師」が応募するのだからきっと雇ってくれるだろう、そう願って応募しました。
そして面接。言われた言葉が、「牧師は日曜日出勤できないですよね? うちの学校は日曜日にも時々イベントをするんです。あと、急な葬儀が入ることもあって勤務が不安定になりませんか?」――けんもほろろ、そもそも求人票に日曜日の勤務がないから応募しているのと、勤務が不安定になるほど葬儀が入る規模の教会でないことを説明したのですが、結果は不採用でした。
他にもいくつかのキリスト教主義学校を受けたのですが、「牧師である」ことがマイナスに作用し、どこもダメでした。
4月に入り、教会の近くに借りたアパートの家賃の支払いも迫ってきます。昨年度の住民税や年金、健康保険料も支払わなければいけません。「仕事中の会話から、誰か一人でも教会につながらないか」、神学生時代のアルバイトのことを思い出し、一般企業への応募に切り替え、それから毎日ハローワークに通うことになりました。
しかし、土日が完全に休みの仕事とは本当に少ないものです。正社員の仕事はあきらめざるを得ませんでした。アルバイト情報サイトも駆使し、奇跡的に採用していただけることになったのが、横浜のホテルでの仕事でした。
牧師仲間に「仕事が見つかった! ホテルだよ!」と言うと、「おめでとう! で、月何回ぐらい?」と聞かれ、「週5日、月曜日から金曜日まで毎日だよ!」「え?」「え?」……。
私は神に示された新任の土地で、週5日フルタイムでホテルのフロントに立つことになったのです。
おぐら・ひとし 1977年東京都生まれ。サラリーマン時代は仕事の後にMBAを学びに行くほど経営や経済に夢中だったのに、ある時聖書に出会い35歳で受洗。約20年のサラリーマン生活を捨てて東京神学大学へ編入学。同大学院修了後、日本基督教団舘坂橋教会、2023年度より日本基督教団本牧めぐみ教会に赴任。好きなことは子どもに関わることとテニス。